2017/06


JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

JUGEMテーマ:豊後大野市三重町

山王社

 

三重町内山にある山王社、、、多分ここだと思うんですが、もしかしたら間違っているかも知れません。

でも「内山観音」と呼ばれている蓮城寺の裏山、また手前にある集落から上れる場所にある神社ですから間違いないと思うのですが。。。

 

この山王社に伝わる神話は、「長者の誕生を予言した山王神」というタイトルになっています。

それではご紹介します。

 

豊後の国でもっとも古くからお祀りされているといわれる三重町大字内山山王社(今は有知山(うちやま)神社といいます)のお話しです。
もう、稲が花をつけてみのりを始めようとするころでした。
内山の村里におびただしい猿のむれが山から下りてきました。
その数は数千匹もいるようです。
どうやら田んぼを荒らすようすでした。
驚いた村人たちは、このままではせっかく植えた稲が台無しになってしまう。
猿狩りをしようと相談がまとまり、めいめい弓矢や刃物を持って田んぼに出ました。

 

弓矢を持った村人は猿に矢を射かけましたが、矢は猿にあたるようすもなく、ゆうゆうと田んぼを駆け回っています。
今度は手に刃物を持った村人が猿を追いかけたけれどもするりと逃げ、村人をこわがるようすもありません。
村人たちは、夕方になるとくたくたにつかれてしまいました。
日が西に沈むころ、田んぼにいた猿が山にひきあげて行きます。
明日もこのようなことがあれば、たまったものではないと考えた村人たちは、それとばかり猿のむれを追いかけて山の上に登って行きました。
山の頂上近くになったとき、あれほどたくさんいた猿の姿が一匹も見えなくなりました。
村人たちがあちこちをさがしましたが、山風が吹く音だけしか聞こえません。

 

山王社

 

山頂には大きい楠がありました。あたりは薄暗くなっているのですが、その根元だけがぼうっと明るく、
白髪の老人が座っているのが村人たちの目にとまりました。
老人は藤で作った衣を着て、左手に桃の枝を持っています。
おごそかで、思わずおがんでしまうほど神々しいお姿でした。
白髪の老人は、ひざまずいた村人たちに語りかけました。
その声は天からひびくようでした。

 

「私は三千年の命を保っている山王神である。
今、ここに山王神としてあらわれたのだ。お前たちが追いかけてきた猿は私の使いなのだ」。
村人は腹を立ててたずねました。
「神さまならなぜ人間を困らせることをするのですか」。
山王神は笑いながらいいました。
「お前たちをここに呼び寄せようと思って猿を使いに出したのだ」。
村人は恐る恐るいいました。
「神さまが、私たちに何の用事なのですか」。
山王神は恐ろしいことを告げました。
「これから七年の間、この国にはよくないことがつぎつぎに起こってくる」。
村人たちはざわめきました。

 

立ち上がった村長がたずねました。
「どのようなことが起こるというのですか」。

山王神はおごそかに告げました。
「土の中から悪い虫が生じて、稲をはじめあらゆる作物を食べつくしてしまう。
その後、雨が一滴も降らず、田畑がからからにかわいてしまう干ばつにあうことになるだろう」。
山王神はおびえる村人にかまわず、ことばを続けました。
「これがもとになって、お前たちのたいせつな牛馬まで病気にかかって死に絶えてしまう」。

山王神のことばを聞いた村人たちの顔色が真っ青になりました。
もしそのようなことが起これば、自分たちも飢え死にすることになるからです。
村人の中には、山王神のお告げを聞いて泣き出す者もありました。

 

「神さま私たちはどうしたらよいのでしょうか」と村長はたずねました。

山王神は一段とまわりの光を強めながらいいました。
「この山の上に私を祀れ。そうすれば、私の使いの猿たちに土の中の虫を退治させよう」。
神さまはこのことを知らせるためにあらわれたのです。
村人たちは山の上に山王神を祀ることを約束しました。

気がつくと日が暮れてあたりは暗くなっていました。
山王神は立ちあがりながらいいました。
「もはや日も暮れた、私もわが身をかくさねばならぬ。そうだ、お前たちによいことを教えよう」。

 

村人たちは山王神のことばを待ちました。
「百済(くだら)という国(今の韓国南部にあった国)の竹林山のふもとに柴守という長者がいる。
やがてこの里に生まれかわり、この国の人々を幸せにみちびくだろう」。
このことばを残して、山王神は巨大な白猿の姿となり、夕闇の空に消えて行きました。

村人たちは山王神と約束したとおり、山頂に社を建てて山王神をまつり、秋には盛んなお祭りをもよおしました。
山王神がお祀りされたことから、人々はこの山を山王岳とよぶようになりました。

 

山王神が姿を消してしばらくたったある年、玉田の里にひとりの男の子が生まれました。

お父さんとお母さんは、この子に藤治と名前をつけました。
このとき、だれもこの子が真名野長者となって人々を幸せにする人になろうとは思いもしませんでした。(三重町の神話より)

 

この山王社に行くとわかるんですが、蓮城寺側から登れるような道があります。

ただ見た感じではすごく険しくて、「歩いて登るのはきついなぁ」って思うような道なんです。

私は蓮城寺の手前にある集落から田圃を突っ切って車で上りましたが、それでも急坂を上っていきます。

 

神話の冒頭に「現在は有知山神社という」とありますが、地図では「山王社」とあります。

神社庁に届け出ているのが「有知山神社」なんだろうと推測しました。

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


JUGEMテーマ:山口県あれこれ

JUGEMテーマ:文化財探訪

JUGEMテーマ:小旅

瑠璃光寺五重塔

 

二日目は萩市にある反射炉から見学する予定でした、でも移動するときに「瑠璃光寺五重塔」の看板が見えたので立ち寄ってみることにしました。

この瑠璃光寺五重塔は、前夜配膳係の方から聞いた観光スポットだったからです。

「せっかくじゃけん寄っちみろうか」と上さんに話すと「行っちみようへ」と快諾(笑)

 

観光バスが駐車場に1台停まっていました、まだ九時前の時間ですよ。

そして境内に入って納得、、、素晴らしい!

 

瑠璃光寺五重塔

 

とにかく、その姿が素晴らしい!観光コースに選ばれていることに納得です。。。

 

室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したが、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし
足利義満に敗れて戦死する。
義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始したが、盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで
永享3年(1431年)に戦死する。

 

瑠璃光寺五重塔

 

五重塔はその後嘉吉2年(1442年)頃に完成した。

屋外にある五重塔としては日本で10番目に古く、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび日本三名塔の一つに数えられることもある。

 

このような歴史をもつ五重塔です、これを見ずに山口県を後にしたらきっと後悔していたでしょうね(^o^;

そして、もう一つ素晴らしいのですが庭園です、きれいに管理されていて気持ちいい!

それなのに無料ですよ、無料で見学できるんです。

 

萩反射炉

 

それから萩市に移動、初めて見る反射炉です。

 

アヘン戦争や黒船来航によって海防強化の必要性を感じた長州藩(萩藩)は、
西洋式の鉄製大砲を鋳造するためにな金属溶解炉として反射炉の導入を計画した。

 

萩反射炉

 

1855年(安政2年)7月、反射炉の操業で先行していた佐賀藩に藩士山田宇右衛門らを派遣した。
山田らは鉄製大砲の鋳造法習得を目指していたが、佐賀藩は製砲掛の不在などを理由に拒否した。
そこで翌8月、今度は小沢忠右衛門(おざわちゅうえもん)が改めて佐賀藩に派遣され、長州藩で発明された砲架である「砲架旋風台(ほうかせんぷうだい)」の模型を持参で交渉。
反射炉の見学を許可されたため、そのスケッチを作成して持ち帰ることに成功した。
同年11月には村岡伊右衛門(むらおかいえもん)が御用掛に命じられた。

 

萩反射炉

 

1856年(安政3年)に鉄製大砲の鋳造に取り組み始めており、反射炉の「雛形(=試験炉)」が操業されていた記録がある。
従来は、萩反射炉は1858年(安政5年)の築造と言われていたが、本格的な操業(鉄製大砲の鋳造)の記録が無いことから、
萩反射炉は1856年に建築・使用された試験炉であり、本式の反射炉(実用炉)は築造されなかったとの説が有力視されている。

 

現在残っている遺構は煙突にあたる部分で、高さ10.5mの安山岩積み(上方一部レンガ積み)です。
オランダの原書によると、反射炉の高さは16mですから、約7割程度の規模のものになります。
また、萩藩の記録で確認できるのは、安政3年(1856)の一時期に試験炉が操業されたということだけであることから、
萩反射炉はこのスケッチをもとに設計・築造された試験炉であると考えられています。

 

すごいですよねぇ、、、スケッチをもとに設計して築造したんですよ。

長州藩は何としても溶解炉を作りたかった、その思いがこの反射炉に込められていたんですね。

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


JUGEMテーマ:大分県佐伯市

JUGEMテーマ:ひとりごと

東風隠地区

 

上さんのアッシーで佐伯市に行ってきました。。。

実は12日に「ばね指」の手術をして14日に経過を見せるため再び病院へ、病院から帰ってそのまま仕事に行ったんですが夕方帰宅すると「血が出た」と。

手術した左手を動かしすぎて縫っている箇所が広がって出血したようです、すぐに傷を水で洗って消毒液を塗り傷口用のテープで応急処置。

手術の痕でなければ心配しないのですが、まだ抜糸していない箇所なので「素人の応急処置だから病院に行ってちゃんと処置してもらった方がいい」

そう言って上さんに病院に行くことをすすめました。

そして16日の金曜日に病院に連れて行って、私はちょっとブラブラしていたらここに来てしまったって言うわけです。

東風隠って読めないですよねぇ、、、だから記憶に残ったんですが(笑)

 

番匠川河口

 

ここは番匠川の河口になります、右側に見える建物の横は海です。

 

蟹

 

岩場を歩くと「フナムシ」って言うんですか、、、あれが一斉に逃げ回る姿が気持ち悪いっていうか楽しいっていうか。。。

写真の蟹は文句なしで可愛いです(^^)v

 

東風隠地区

 

写真奥の右手は佐伯市街地になります、つまり番匠川の上流方面を見ていることになります。

 

くらげ

 

ここは正確に言えば海にはならないんでしょうが、こうしたクラゲなど川では見られないものが見られるので大好きです。

 

海が見える場所に住みたいなぁって思うんですが、台風や潮風のことを考えると、、、厳しいですね"r(^_^;)

 

海は大好きなんですが、海の怖さも知っていますよ。

津波の恐ろしさは東北の地震で見ましたが、同級生の命を奪ったのも海です。

 

中学三年の時だったでしょうか、夏休みのことです。

学校は「友達同士で海に行ってはいけません」と禁じていたのに、友達同士で海に行った同級生がいました。

その日の海(どこの海水浴場かは知りません)は台風が接近していたか、台風が去った後か記憶が定かではありませんが海が荒れていたそうです。

 

同級生が波に呑まれ、沖の方に流されそうになったそうです。

その時、別の同級生が一瞬手をつかんだのですが、また波にさらわれてしまい帰らぬ人となりました。

手をつかんだ同級生は葬儀の時も泣きじゃくっていました、多分一生忘れられない友の手の感触だったと思います。

 

これから海水浴シーズンになります、十分気をつけて海水浴を楽しんでほしいものです。

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


JUGEMテーマ:山口県あれこれ

JUGEMテーマ:小旅

JUGEMテーマ:文化財探訪

温泉舎

 

湯田温泉で見られる「キツネ」の置物、これには言い伝えがありました。

 

昔々、湯田の権現山の麓のお寺の境内に小さな池がありました。
その小池に、毎晩1匹の白狐が傷ついた足をつけにきます。

この様子を見ていた和尚さんが不思議に思いその池の水をすくってみると温かかったのです。
そこで池を深く掘ってみると熱い湯がこんこんと湧き出るとともに、薬師如来の金像があらわれたのです。

この仏像は拝んで湯あみをすると難病も治る「白狐の湯」として評判となり温泉は栄えるようになったそうです。

 

湯田温泉は、「白狐が傷ついた足をつけていた」ことで見つけた温泉場だったんですね。

でも、私が見た限りではそのことを説明しているものは見つかりませんでした、、、これはちょっと不親切ですよね。

 

温泉舎

 

宿泊した「梅乃湯」の隣に「ある」ものを見つけました、それが「温泉舎(ゆのや)」です。

 

温泉舎

 

天然温泉が湧き出る様子が見られる「受湯槽」や、自然石を利用した「飲泉場」、温泉の湯気と香りが体感できる「湯の川」などがあり、

夜間は高さ約7.9メートルの櫓がライトアップされます。

 

こんな説明がされている温泉舎ですが、こんな施設って珍しいですよね。

 

長州藩茶屋臨屋堂跡

 

そして気をつけていないと見逃してしまう場所にあったのが、写真の標柱です。

現在は居酒屋になっていますが、昔はここに茶屋があったようです。

 

萩に城を構えていた毛利氏は、山口に客館、湯田にお茶屋を設け藩主の休息の場所として、
兼ねてより他藩の来客の接待所としたが、幕末に至っては吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)を始め
勤王の志士が密談の場としてしばしば利用した。
その後、豊前の文士長三州が来て、臨屋堂と名づけた。そのお茶屋の遺跡だそうです。

 

この湯田温泉ですが、色々と見るところがあって早朝散歩が楽しかったです(笑)

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

JUGEMテーマ:豊後大野市三重町

JUGEMテーマ:ひとりごと

大辻公園の紫陽花

 

紫陽花で知られている大辻公園に行ってきました、前回訪れたときには紫陽花の花は咲いていなかったんですが今は見頃になっています。

 

大辻公園の紫陽花

 

この日は平日だったんですが、女性三人組が見頃になった紫陽花を楽しんでいました。

ただ本音を言うと紫陽花の種類が少ないんですよねぇ、もう少し種類が豊富だともっと楽しめると思うんですが。。。

 

大辻公園の紫陽花

 

でもここを訪れると頭の下がることがあります、それはきれいに清掃されているってことです。

行ったことがある方であればその広さは知っていると思います、その広さを清掃(主に草刈りですが)するのって大変ですよ。

本当に頭が下がります_(_ _)_

 

大辻山

 

こちらは史跡に指定されている大辻山ですが、こちらも草刈りをして歩きやすくしてくれています。

 

大辻山

 

ツツジの花が終わりに近づいていますが、そのツツジと紫陽花が楽しめる時期になっています。

たくさんの紫陽花を観賞できて、大辻山にある史跡も見学することもできます。

 

今の時期に是非、大辻公園へお出でください。

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


JUGEMテーマ:山口県あれこれ

JUGEMテーマ:文化財探訪

JUGEMテーマ:小旅

湯田温泉梅乃湯

 

早朝の梅乃屋です、時間は5時半、、、年をとると早く目が覚めます(笑)

いつものようにカメラを持って早朝散歩です。

実は昨夜、夕食の時に配膳担当の方に「近くに散歩がてら見るところがありますか?」こんな質問をしました。

すると「そうですねぇ、徒歩なら少し遠いけど公園があります、車なら瑠璃光寺がいいですよ」と、教えていただきました。

「早朝散歩しても歩くだけだな」そう思っていたんですが、何の何の撮影に忙しい早朝散歩になりました。

 

山頭火通り

 

湯田温泉には「きつね」の置物があちこちに置かれています、「これってどうしてだろう」そんな疑問を抱きながら散歩しましたが帰宅して調べて納得、

その理由は後日ご紹介します。

 

山頭火通り

 

地元の方は余り感心がないんでしょうね、「山頭火通り」がありました。

山頭火の句を紹介しているものは豊後大野市にもありますが、「通り」としているのはここだけじゃないかな。

 

山頭火通り

 

マンホールの蓋に山頭火の句。

 

山頭火通り

 

建物の壁にも山頭火の句。

 

山頭火句碑

 

句碑もありました。

この句なんですが、ちょっと面白いでしょ?「ちんぽこも おそそも湧いて あふれる湯」。

 

昭和7年秋、51歳の時、小郡の「其中庵」に庵住してからは、よく13キロの道を歩いて湯田温泉にやってきていた。

その其中庵も風雨で傷み昭和13年11月末、山頭火は湯田前町竜泉寺の上隣に四畳一間の部屋を見つけて移り住んだそうです。

風のごとくやってきたというわけか、「風来居」と命名し相変わらず句作と旅と酒があれば酒に徹するといった日々を送っていたが、

昭和14年初秋再び行雲流水のことばそのまま遠く四国松山の地へ去って行ったそうです。

写真の碑に彫られた句は、山頭火の日記からとった自筆なんだそうです。

 

地元の方には見慣れた山頭火通りも、県外から訪れた人間には新鮮なものなんですよね。

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

JUGEMテーマ:豊後大野市三重町

JUGEMテーマ:ひとりごと

芦刈地区の畑

 

コーンの収穫が近づいたようです、それにしても成長が早いですねぇ。

種をまいたのが4月、2ヶ月程度で収穫なんですね。

 

芦刈地区の畑

 

ただ梅雨に入って雨が降らないものですから畑には水がいられています、「水をまく」んじゃなくて畝の間に水を流し込むんです。

田圃の水張りまではいきませんが、それに近い状態にするんですね。

 

DSC02927Dx-1.jpg

「こんなことするんだぁ」

初めて目にした水やりです。

昨年は二枚ほどの畑にコーンを植えていましたが、こんな水やりを見たことはありませんでした。

今年はそれだけ雨が少ないってことなんでしょうね。

 

芦刈農産の店頭に並ぶ日が近いようです。

 

喫茶月の舎

 

話は変わりますが、ニコニコ診療所の横に喫茶店が開店します。

今月中には開店するようで、急ピッチで内装工事をしています。

 

そして新しいコスモス薬品のお店が開店することをお知らせしましたが、現在は杭打ちが始まって基礎工事に取り掛かったようです。

 

ケーズデンキの横にスーパーフレインが出店するんですが、長い間開店していませんでした。

上さんの情報では、社員が集まらず開店が延び延びになっているようです。

時給が800円、上さんは転職するか悩んでいますσ(TεT;)

 

それにしても上さんの情報収集能力には驚かされます、どこから情報を仕入れるんだろう(笑)

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

JUGEMテーマ:豊後大野市三重町

JUGEMテーマ:ひとりごと

三重町の梅雨空

 

一昨日の夜(日が変わる直前の11時40分頃)になりますが、豊後大野市が震度4の地震。

私は当たり前のように寝ていて何か夢を見ていたような、、、金の延べ棒を山分けにしている夢だったかな。。。

お金に困っていると夢は正直です(笑)

 

そんな夢を見ていたときに「ユサユサ」と揺れた思ったら、「グラグラ!」って大きく揺れたのを少し記憶しています。

1階にいた上さんが何か動いている音が聞こえて、「まだ起きちょったんやぁ」と思った後は再び夢の中へ。

朝になって散歩から帰ると上さんが、

「昨日の地震すごかったなぁ」

「けっこう揺れたみたいやなぁ」

「何でお母さん大丈夫か、っち声をかけんの!」

「下でテレビ観よったんやろ、何かあったら音がするけんわかるやろ」

「私が下敷きになったらどうするん?」

「下敷きになるっちいうことは、家が潰れるっちいうことじゃん、そん時に俺だけでどげぇしよっち言うん?俺だってどうげぇなっちょるかわからんし」

こんな会話をしております(笑)

 

取り敢えずは目立った被害はなかったようで、震源地に近い佐伯市でも道路の陥没等は確認できないと発表していました。

 

一昨日といえば午後から梅雨空が広がったとご報告させていただきました、梅雨入り宣言してから初めて雨らしい雨も降りました。

ところが早朝散歩していると西の方には青空が広がっていて、東の方には厚い雲。。。

6時過ぎには太陽も顔を出して、朝日を浴びながらの散歩が出来ていました。

その太陽が「あ!」って言う間に雲に隠れて、帰り着く頃には空一面が厚い雲で覆われました。

その時に撮影した写真です、時間は六時半頃。

 

地震が発生した時期に恵まれました、雨が降らずそのおかげで地盤も緩んでいなかったので大きな災害が起きにくくなっていたのでしょう。

でも、ここ一週間程度は震度5程度の地震が発生する恐れがあるようです。

その一週間の間に大雨が降る可能性が高いと予報では言っています、大雨と地震が重ならないことを祈るだけです。

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


JUGEMテーマ:山口県あれこれ

JUGEMテーマ:小旅

なぎさ水族館

 

豊後大野市は昨日の午後から梅雨空、雨も降ってきました。

梅雨入り宣言してから約二週間、、、ようやく本格的な梅雨シーズンに突入するようです。

週間天気予報を見ても「晴れ」マークはなく、「雲」と「傘」のマークだけになっています(苦笑

でも本格的な梅雨に入ったら入ったで太陽が恋しくなるんですけどね(笑)

 

さて、一日目の最後は「日本一小さな水族館」と開き直っている「なぎさ水族館」です(笑)この水族館、正直者です。。。

 

なぎさ水族館

 

水族館に入場して一周するのにかかる時間は10分もあれば十分。。。

チラ見だけなら5分、、、本当に小さな水族館です。

 

なぎさ水族館

 

ただお客さんは「意外」と言ったら失礼かも知れませんが、わりと多いんです。

すぐ近くにキャンプ場や陸奥記念館があるからかもしれません。

 

「なぎさ水族館」の人気スポットは、日本最大級の広さを誇る(屋内の)「タッチングプール」

海の生き物にじかに触れることができるココでは、いつも子供たちの歓声でいっぱい。

潮溜まりにはヒトデやナマコに大きなヤドカリ…奥のプールには大小さまざまな魚やタコ、なんとサメまで!

 

こんな紹介をしている水族館ですが、面白いのは「日本一小さな水族館」に「日本最大級の広さを誇る(屋内の)タッチングプール」があるってことです(笑)

 

戦艦陸奥艦首錨

 

そして水族館の目の前にあるのが「陸奥記念館」です。

 

陸奥記念館

 

錨の奥に見える建物が記念館です、この記念館には有料だったこと、そして写真撮影は出来ないだろうと思ったので入館していません。

 

戦艦陸奥は大正6年に着工して、同10年に完成しました。
昭和18年6月8日爆沈するまで、世界最高の戦艦として連合艦隊の旗艦、お召し艦として活躍しました。
戦後、昭和24年から一部引き揚げをしましたが、40メートルを超える海底作業は困難を極め、まもなく中止されました。

昭和45年6月、遺族や生存者らの熱意が実り、深田サルベージによって引き揚げが再開されました。
昭和53年6月までの8年間の引き揚げ作業で、将兵の遺骨や遺品と共に、主砲など艦体の75パーセントが引き揚げられました。

東和町は昭和47年11月、恒久平和の殿堂として引き揚げられた遺品や艦の一部と、
遺族から寄せられた貴重な資料を展示するため、陸奥の沈没地点を望む丘に陸奥記念館を建設し平成6年3月、そばを通る国道の改修工事のため、現在の場所に新築移転したそうです。

 

そして、ここを後にして宿へ移動。。。

 

湯田温泉「梅乃屋」

 

宿は山口市の湯田温泉にある「梅乃屋」、ここの従業員には驚きました。

とにかく若い!研修中の方もいてフレッシュです。

料理も山口県で取れるものだけを使った料理、お酒は焼酎にしようと考えていたんですが悩んだあげく地酒をいただきました。

もちろん財務官僚である上さんの許可をいただいた上で決めました(笑)

 

湯田温泉「梅乃屋」

 

私のブログでは珍しい料理の写真です(笑)

旅行に行ったときくらいしか料理の写真は撮らないのでイマイチです、、、ご勘弁ください_(_ _)_

 

もし山口県に宿泊するようなことがありましたら、料理・接客を含めて誰もが満足するであろう梅乃屋さんをおすすめします。

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


JUGEMテーマ:山口県あれこれ

JUGEMテーマ:小旅

JUGEMテーマ:文化財探訪

般若寺

 

豊後大野市に住むものとして山口県を訪れたら、ここは外せません。。。

般若姫の菩提寺、、、般若寺。

 

般若寺

 

般若寺から臨む瀬戸内です。

 

般若寺観音堂

 

こちらがご本尊が祀られている観音堂、住職に「ご本尊を撮影させて欲しい」と直訴したんですが、、、やんわりと断られました(苦笑

 

ところで、ここ山口の般若寺に伝えられている「真名野長者伝説」も少し豊後大野市のものとは違っています。

長者伝説の中で般若姫が出産して皇子の元へ出発するところからご紹介します、これは山口県で伝えられている伝説です。

 

不運の海難
やがて 姫は美しい女子を安産し、玉絵姫と名付けました。
その後、 般若姫は玉絵姫を長者に託し、約束通り恋しい皇子の元へと旅立ちます。
長者は姫に多くの家来と大船小船120隻を用意して、一行は臼杵(うすき)の浦を出発しました。

 

はじめは穏やかだった海も、平群島(周防の国)近くにさしかかると突然嵐になり、船は熊毛の浦(豊後の国)に吹き流されてしまいました。

おおしけのため一行が途中島で休んだことから、この島を豊後の姫島と言い伝えています。

 

天候が回復したので船を出すと、再び大畠鳴門の瀬戸に差し掛かかったところで、また暴風が起こりました。
この嵐で120隻はちりぢりとなり、多くの船が沈んでしまいました。
それは、以前長者に池を潰された金龍神の怒りの嵐でした。
そのとき、供の者たちが裸で泳ぎ着いた島が、柳井港の沖、裸島だといわれています。

 

一行は阿月の浦で船泊まりし、柳井津に渡り、姫の身体を休めることにしました。
姫は喉の渇きを訴え、里人にこんこんと湧き出る清水を案内してもらいました。
このとき、姫が記念に柳の楊枝を井戸の側にさしたところ、一夜にして芽吹き、やがて立派な柳の木となりました。

この柳の下の井戸が、「柳井」の地名の由来だということです。
また、近くに流れる姫田川も般若姫にちなんだものだといわれています。

 

 

この部分に大きな違いはありません、豊後大野市のものとは違って少し詳しく書かれている程度です。

 

般若寺

 

般若姫の死
般若姫の一行は、しばらくこの浦に船をとどめ、行方不明になった供の者たちを捜し、多くの遺体が見つかりました。

姫は、大変嘆き悲しみ、「私は、こんなにたくさんの者たちの命を犠牲にしてまで、皇后になりたいとは思いません。」と、

まだ見つからないお供を捜して欲しいと言いました。
そして、「かりの世に何歎くらんうき船のいずくを宿と定めおかねば」と繰り返し詠じました。
その後、渦巻く大畠の瀬戸に身を投げたのです。
侍女達も後を追うように飛び込みました。

驚いた船人たちが慌てて救い上げたのですが、姫は衰弱する一方でした。
「二度とこの場所で、このようなむごい事故が起こらないよう、瀬戸の守り神となります。私の亡骸は向こうに見えるあの山に葬ってください。」との言葉を残し、息をひきとりました。
家来たちは大変悲しみ、姫の遺言とおりに向こうに見える山(今の山口県平生町神峰山)の頂上に埋葬しました。

欽明天皇28年、般若姫19歳の春のことです。     

 

この話の中に豊後大野市に伝えられている伝説と違っていることがあるんです。

「身を投げた」っていう話は出てきません、嵐に遭って衰弱して亡くなる、これが豊後大野市に伝わっている伝説です。

 

神峰山般若寺
知らせを聞いた皇子と長者の悲しみは大変なものでした。
姫の遺言通りに神峰山にお墓を建て、姫の念持仏「金の観音像」を納め、般若寺というお寺を建立しました。
また、長者は臼杵(大分県)に姫の供養のために、たくさんの石仏を作っていきました。
これが国宝の「臼杵磨崖仏」だと云われています。

 

この出来事の後、毎年陰暦12月大晦日の夜、大畠の瀬戸から火の玉が三つ舞い上がり、一つは神峰山の山頂の「龍灯の松」にとまった後、

般若寺の観音堂の三光之窓に入っていくということです。

また一つは対岸の大畠の瀬戸の明神さまへ、もう一つは大島三蒲の松尾寺(しょうぶじ)に向かって、飛ぶようになったと云われています。
そして、その火の玉を見た人は、大漁・豊作・福徳に恵まれるということです。(山口県に伝わる長者伝説より)

 

これが山口県に伝わっている「真名野長者伝説」です、最後の方は山口県の伝説の方が詳しく記載されています。

山口県に伝わる伝説ですから当たり前なんでしょうが、そうであれば豊後大野市に伝わる伝説にも加筆すればいいのにって思った次第です。

 

この般若寺に伝わっている般若姫は、「いけにえになって金龍神を鎮めた般若姫」と云われています。

豊後大野市の真名野長者伝説には「いけにえ」なんて言葉は全く出てきません(苦笑

 

般若寺仁王門

 

さて少し長くなりますが、もう少しお付き合いください_(_ _)_

ここ般若寺にも文化財があります。

 

般若寺仁王門

 

それが般若寺仁王門と木造金剛力士像です。

 

仁王門は、三間一戸八足門(さんげんいっこやつあしもん)という構造形式で、江戸時代に建立されたようです。

八足門とは、四本の親柱の前後にそれぞれ四本の控え柱を設けた一重の門のことです。

 

般若寺木造金剛力士像

 

木造金剛力士像は、鎌倉時代に作られ安置されています。

写真は吽形(うんぎょう)で像高229センチ。

 

般若寺木造金剛力士像

 

こちらは、阿形(あぎょう)で像高231センチあります。

 

今日はここまで、それではご機嫌よう♪


にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 豊後大野情報へ
にほんブログ村