清川町の砂田地区にある史跡です、清川町「道の駅」前を通って緒方町方面に行ったことがある方であれば「長迫横穴古墳群」の標柱を目にしたことがあるはずです。
その標柱は、道の駅先にある信号の交差点を過ぎるとすぐ右側に出ています。
一軒家の裏山にある古墳群ですが、昨年の夏に訪れて撮影の許可をもらったことがあります。
すると「撮影してんいいけど、そん格好じゃあ無理じゃわ」と言われました。
裏山を見ると草が伸び放題で短パンでは歩くのが厳しいことを知りました。
「盆になる前に草を切るけん冬になったらおいで」、そう言われて帰宅しています。
12月は色々と忙しいでしょうから遠慮して年が明けた1月もゆっくりして頂きたいので遠慮、、、そして今月行ってみました。
再び訪れると快く撮影を了承して頂きました、でも「裏山にあるけど上る道が狭めぇけん気をつけちな」と言われました。
その言葉を聞いて「ん?」って思いましたが、裏に回って納得。。。(笑)
家と家の間に上る道があるのですが、幅が20センチくらいでしょうか。。。
想像するに家と家との境を少しずつ削っていったからこの幅になったんじゃないかと(笑)
三脚の足を杖代わりにして何とか上りましたが、いやー上る道は狭すぎでしょ(笑)
古墳の横穴は三箇所あります、左の横穴は三箇所あるうちの中央になります。
左の横穴で三箇所です、この左の横穴の前には神様を祀っている石塔があります。
この石塔にちょっと問題があることを後で聞いたため、写真を撮影していません。
長迫集落の宅地裏の崖面に掘り込まれている横穴墓群。
古墳時代後期の有力者の墳墓で、3基が確認できる。
須恵器の出土が伝えられている。
このように解説されていますが、現地に案内板があったのでそちらの解説も書いておきます。
「この横穴古墳は、凝灰岩層に三個の横穴が掘られ墳墓に用いられた形跡がある。
入口は硬質の一枚岩で塞がれており幅は65センチある入口から84センチの通路があり、
その奥に2メートル60センチの奥行きと幅3メートルの玄室と呼ばれる部屋がある。
ここに死者が生前に用いた道具を死体と一緒に埋蔵することが習慣とされた。」
帰るときに挨拶したところ、色々と話を聞かせて頂きました。
神様を祀っている横穴があると書きましたが、その横穴の中の左側を市役所の職員が調査の時につつくと「ボコボコ」って音がしたそうです。
「塞いでいるようだが何かある」と職員の方は言うのですが、神様を祀っている前なのでそれ以上のことは出来なかったそうです。
考えてみれば不自然ですよね、左側の横穴の前だけに神様を祀っているというのが、、、古墳群を祀るのなら中央に石塔を置いて祀っていいわけですから。
この家の方は調査の時に中に入ったそうです、「そりゃぁ中に広い部屋があったわ、あそこに住んじょったんじゃろ?」そう言われたときに古墳のことを説明しました。
でも、いくら説明してもご本人は古墳のことを理解出来ずにいたので「ピラミッドを知っているでしょ?あれと同じようなもんです、偉い人が死んで埋葬するのに使ったものですよ」
このように話すと少し理解してくれたのですが「こげん田舎に偉い人がおっちょったじゃろうか」と切り返してきました(笑)
「いやいや100年前とかの話じゃなくて千年前とかの話です」と説明すると「あぁそげん前ん話かえ」とようやく理解して?頂きました(;^_^A
今日はここまで、それではご機嫌よう♪