大分県豊後大野市から気ままなblog

大分県の豊後大野市、そこは阿蘇山大噴火の影響が残り、澄んだ川と四方を山に囲まれた小さな故郷。そんな故郷<and so on>で国指定難病CIDPを患う爺さんがお届けするブログ
こんな所に、、、磨崖仏
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    緒方町辻

     

    県道7号線、、、原尻の滝の前を通っている道路ですが、原尻の滝から1キロちょっと車で走ると写真のような場所があります。

    水路の取水口なんですが、こんな所で石の文化を見ることができます。

     

    緒方町辻

     

    下におりてみました。

    ここまで来ても気付きにくい石の文化、教えてもらわないと絶対に見ることができません。

     

    場所的には左側の杉の木の所にあります。

     

    上井路取水磨崖仏

     

    石の文化とは磨崖仏のことです(笑)

     

    名称は「上井路取水磨崖仏」と呼んでいるようです。

    ただ文化財じゃないんですよ、だから知っている人に教えてもらわないと見ることができないんです。

     

    一般的には水路を守るための磨崖仏と言われているみたいですが、、、それだじゃないような気がしてならない。。。(^0^;)

     

    まぁ、こういう磨崖仏もあるよって知ってもらえれば有り難いです。

     

    さて話は変わりますが、17日に赤十字病院に行ってきました。

    前回、糖尿病の症状を改善するため山のように薬を処方してもらい、一ヶ月で足の症状がどの程度改善するかをみることにしました。

     

    しかし症状は全く改善せず、薬を飲んだだけ(;^_^A

     

    最新の腰のMRI画像も持っていきましたが、医者は頭を抱えるだけ(苦笑

     

    結果は不明、、、「今後はどこの病院に行けばいいのか」と医者に迫ると。。。

    「「総合診療科」のような所に行って診てもらうしかないですねぇ」ですって。

     

    総合診療科がある病院は医大、、、でたでた患者をモルモットのように実験する病院。

    でも仕方ないんですよねぇ、他に方法がないんですから。

     

    っていうことで23日に医大で診察してもらうことになりました、ここが最後の砦になるのかな。

     

    今日はここまで、それではご機嫌よう♪

    | 小鮒 | 石の文化 | 04:47 | comments(2) | - |
    千歳町前田地区で見つけたもの
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      千歳町前田地区

       

      この写真を覚えてますか?

      千歳町前田地区にある蓮畑、PLフィルターを使用して撮影した写真です。

      蓮畑の先に白い倉庫のようなものがあります、その倉庫の少し右側に小さく写っている倉庫のようなもの。

      そこに茂みのようなものが確認できます。

       

      実は蓮畑を撮影した後、帰宅するためにUターンせず小さく写っている倉庫の前を通って帰ろうとしてました。

       

      千歳町前田地区

       

      小さく写っていた倉庫には農機具を入れてました。

      その横に咲いていたアヤメの花、アヤメも早く咲いた花は枯れようとしていた時期です。

       

      そのアヤメの花の奥に石造物を見つけたんです。

       

      千歳町前田地区

       

      石造物の前に観音様でしょうか、鎮座しています。

       

      千歳町前田地区

       

      アヤメの花の奥には石幢らしき幢身が2基、その次に庚申塔らしきものが1基、その次に大きな石幢、その奥に石幢の幢身が1基、左側の奥に石塔が1基。

       

      千歳町前田地区

       

      一番大きな石幢です。

      宝珠や笠はありません、龕部(がんぶ)は各面を二区に分けて六地蔵、、、と思ったんですが、全部つまり八面全てに地蔵様(笑)

      普段であれば六地蔵と十王像二体、もしくは閻魔像と俗人だったりします。

      十王像が彫られていると思うんですが、老眼と乱視がひどい私の目では確認できず(苦笑

       

      とにかく立派な石幢です、幢身が半分近く埋まっていますから本来の高さは2メートルを超えるはずです。

      地蔵を刻みだしている石幢ですから、南北朝時代以降のものでしょう。

       

      大変立派な石幢を撮影できました。

       

      話は変わりますが、三重町にヤフーモバイルっていうんですか、、、ソフトバンクの携帯ショップが昨日オープンしました。

      場所は、旧三重高校前の交差点、そこにコンビニがあったんですが、そのコンビニを改装してオープン。

       

      HIHヒロセのスーパーが取り壊されました、その後に何を建てるのかは不明です。

       

      それから市役所前にあったNTTのビル、道路沿いにあったビルですが、これも取り壊されました。

       

      この三つが最近の三重町事情です。

       

      今日はここまで、それではご機嫌よう♪

      | 小鮒 | 石の文化 | 05:57 | comments(0) | - |
      下鷲谷にある石造物
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        DSC08992_Nik_DxO-1.jpg

         

        下鷲谷地区に行ったとき見つけた石造物、撮影しながら観察させていただきました。

         

        後ろに立てかけられているものは全て庚申塔、10基くらいありました。

         

        右にあるのは法華経の一字一石塔のようで、石書塔って呼ぶんですね。

         

        DSC08995_Nik_DxO-1.jpg

         

        この一字一石塔は宝暦九年(1759)に建立したものですから、約250年以上ここにあります。

         

        DSC08993_Nik_DxO-1.jpg

         

        そして、わからなかったのが真ん中と左の石造物。

        写真の石造物に乗っかってるのは石幢の宝珠と請花、その下は石塔。

        この宝珠と請花がどこにあったものなのか、、、考えました。

         

        DSC08994_Nik_DxO-1.jpg

         

        真ん中にある石造物を笠塔婆と思い込んでいたもので、それが間違いでした。

        この真ん中にあるものが石幢です、上部を見ると中台を載せるように凸型になってます。

         

        つまり左にある宝珠と請花は真ん中の石幢のもので、中台・龕部・笠がなくなったんでしょう。

         

        左右と後方には月輪が彫られていて梵字が刻まれていたんでしょう、その梵字は風化して読むことは不可能。

        ちょっと見た感じでは笠塔婆に見える石幢、市内では初めて見ました。

         

        ここに集められた理由は前の道路が県道でして、その県道の拡幅工事の時に集められたんじゃないでしょうか。

         

        言い方が悪いんですが、こんな山間部に約250年前、こんな石造物を建立する方がいたとは驚きです。

        それなりの身分、お金がないと。。。(;^_^A

         

        もしかしたら林業が盛んな時代があったのかもしれません。

         

        今日はここまで、それではご機嫌よう♪

        | 小鮒 | 石の文化 | 05:45 | comments(0) | - |
        私指定文化財「久田石幢」(笑)
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          三重町久田地区

           

          今年も残り二日となりました、無事に帰省されたでしょうか。。。

           

          我が家は子供が帰省することはなく、お正月は普通の1月1日になりそうです。

          上さんと二人ですから世間一般は正月ですが、私たちにとっては365日分の1日でしかありません。

          多分、子供が帰省しないご家庭のご夫婦は同じ思いじゃないでしょうか(^0^;)

           

          では本日の記事です。

           

          三重町の久田地区にやってきました。

          この地区には文化財が多くて、以前は頻繁に訪れた地区です。

           

          ここは文化財が多くある地域から少し離れた地域です。

          落ち葉が荒らされてますが、イノシシがどんぐりかミミズを探した跡です。

          ちょっと山間部に入るとイノシシの痕跡はあちこちで見ることが出来ます、ですから私たちとっては珍しいものではありません(笑)

           

          三重町久田地区

           

          そんな場所で見つけたのが石幢です。

           

          人家は点々とあるんですが、、、空き家になってます。

          この石幢の右側に道があって、その道を進むと一軒の家で行き止まりになってます。

          このあたりでは、そのお家に住んでいる方しかいらっしゃらないんじゃないかな。

           

          三重町久田地区

           

          石幢はシンプルな石幢です(^0^;)

           

          宝珠が笠の上で横たわってますが、笠になっているものが中台(龕部の下にあるもの)でしょう。

          ですから宝珠がはまらないんです(笑)

          笠らしきものは、私が撮影してる右横にありまして、三つくらいに割れていました。。。

           

          三重町久田地区

           

          龕部には六地蔵と閻魔像、十王像?が一体彫られてるようです。

           

          幢身や龕部には銘文はなく歴史が一切わかりません。

           

          三重町久田地区

           

          一番左端の庚申塔が「文化」の年代のものですから、それ以前に建立されたもののようです。

           

          市指定の文化財ではないので「私」指定の文化財とさせていただきます(笑)

           

          ただ庚申塔や石幢なとが散在してるので信仰深い方の土地かお堂があったのかもしれません。

           

          私風化劣化が激しくて私にはどうすることも出来ませんが、せめて写真にして保存していきます。

           

          今日はここまで、それではご機嫌よう♪

          | 小鮒 | 石の文化 | 05:53 | comments(0) | - |
          私は誰?「名がない石幢」(三重町宮野)
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            三重町宮野の石幢

             

            三重町宮野地区にあった石幢です。

            この手前(菅尾駅方面)には文化財の「脇清水石幢」があるんですが、こちらの石幢は文化財には指定されていません。

             

            でも地域の方が大切にしているようで、缶ビールが供えられています(笑)

             

            三重町宮野の石幢

             

            龕部の下にある中台、龕部の上にある笠がなく、頂上の宝珠は龕部にコンクリートで固定されています。

             

            そして龕部には六地蔵が彫られていますが、珍しいことに十王がいないんです。

            市内に残っている石幢のほとんどが六地蔵と十王が一体ないし二体彫られています、それが六地蔵だけなんです。

             

            三重町宮野の石幢

             

            六地蔵しか彫られていないことから典型的な「六地蔵石幢」、時代は南北朝時代からこんな形の石幢が多くなったといわれていますから、それ以降の年代のものになるんでしょう。

             

            銘文はなく、明確な年代を特定することはできません。

             

            豊後大野市のことしか知りませんが、こういった文化財に指定されていない石造物がすごく多いですね。

            まだまだ探せばたくさんあるんでしょう。

             

            今日はここまで、それではご機嫌よう♪

            | 小鮒 | 石の文化 | 05:19 | comments(4) | trackbacks(0) |
            田畑に溶け込む「五輪塔」(三重町井迫)
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              三重町井迫にある五輪塔

               

              三重町から菅尾に車で行くとき一般的には国道を通ります、でも大原や百枝などに住んでいる方は農免道を通る方が多いんじゃないでしょうか。

              農免道と言っても「ピン」とこないかたがいらっしゃるかもしれません、菅尾医院や菅尾小学校の前を通っている道と言えばわかってもらえるでしょうか。

               

              三重町井迫にある五輪塔

               

              この農免道を何百回と走っていて、この五輪塔に気付きませんでした。

              道路から五輪塔までの距離は10メートルちょっと、、、どうして気付かなかったんだろう"r(^_^;)

              木の下にあるので田畑に溶け込んでいて目立たないからかな。。。

               

              五輪塔は墓石や供養塔として造られたものですから、この場所近辺に個人が造立したものなんでしょう。

              「近辺」としたのは、周りが田畑ですから移された可能性があるからです。

               

              三重町井迫にある五輪塔

               

              祠の裏には部材が置かれています、このことから考えられるのは五輪塔が一基だけではなく他にも石造物があったようです。

               

              三重町井迫にある五輪塔

               

              写さないように撮影したんですが、奥の斜面の上には大量のソーラーパネルが設置されています。

               

              五輪塔で銘が彫られている一番古いものが仁安4年(1169)のもので岩手県にあるそうです、その次に古いのが嘉応2年(1170)のもので大分県にあるんですよ。

              1年違いっていうのが残念!(笑)

               

              その二番目に古い大分県にあるという五輪塔がどこにあるのか、、、臼杵市にあるんです。

              興味のある方は、こちらからご覧ください。

               

              そもそも五輪塔は、層塔・宝塔・宝篋印塔などと違って日本独特の塔なんだそうですよ。

              層塔・宝塔・宝篋印塔などは、インド・中国・朝鮮(百済)から持ち込まれた塔を見本として造られたんです。

               

              今日はここまで、それではご機嫌よう♪

              | 小鮒 | 石の文化 | 05:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
              きれいな宝篋印塔が印象的な「馬背畑薬師堂」(緒方町馬背畑)
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                馬背畑薬師堂

                 

                下に走っている道路からは見えないんですが、反対側にある高台から見ると、どんな場所に薬師堂があるのかがよくわかります。

                昔の方はよく考えて作ってますよねぇ、智福寺跡にある仏像もこんな場所にあります。

                山岳信仰の名残なのか、それに加えて雨をしのげる場所として選んでいるのか。。。

                 

                遠くから見てもわかるように宝篋印塔などの石造物が見えます、この日はそれを撮影に行ってきました。

                 

                馬背畑薬師堂

                 

                一番高いのは宝塔のようですが銘文は確認できず、右にあるのは五輪塔らしき形をしていますが梵字は確認できず。

                そして一番右にある石造物は、、、メチャクチャです(笑)

                積み木じゃないんだから、なんでも積み上げればいいっていうもんじゃありません。

                 

                馬背畑薬師堂

                 

                右から宝篋印塔、宝塔、五輪塔らしき梵字がないもの、左側にあるのは、、、なんでしょう(笑)

                宝篋印塔は小ぶりなんですが形はきれいです。

                ただ石造物のほとんどが劣化していなくて良好な状態です、犬飼石仏がある場所にも色んな石造物がありますが、そこにあるものと同レベルといっていいでしょう。

                 

                馬背畑薬師堂

                 

                宝篋印塔の基礎部分に彫られている銘文です、読めそうで読めない"r(^_^;)

                 

                こういうのって水をかけると読みやすくなると聞いたことがあるんですが、カメラに三脚そして水を持ち歩くのは、、、ちょっと厳しいかな。

                 

                今日はここまで、それではご機嫌よう♪

                | 小鮒 | 石の文化 | 05:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
                庚申塔群(千歳町新殿)
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                  千歳町新殿の庚申塔群

                   

                  千歳町新殿に写真の庚申塔があります、手前に道路があるんですが、その道路工事のために現在地に移されたことを左端の庚申塔に刻んでいます。

                   

                  千歳町新殿の庚申塔

                   

                  一番左側にある昭和53年に建立された庚申塔です、左に「白鹿農免道新設ノ為  後退」と彫られています。

                   

                  驚くのが昭和53年まで庚申講が行われていたことです。

                   

                  千歳町新殿の庚申塔

                   

                  こちらが明治32年の庚申塔。

                   

                  何度か庚申塔のことについてご説明していますが、改めて簡単に説明します。

                   

                  庚申塔は、庚申塚ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。
                  庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。

                   

                  塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。

                   

                  庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸虫(さんしちゅう)という虫が庚申の日の夜、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、
                  それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習である。(Wikipediaより)

                   

                  千歳町新殿の庚申塔

                   

                  こちらが文政10年(1827)の庚申塔です。

                   

                  千歳町新殿の庚申塔

                   

                  こちらが一番古い寛文8年(1668)の庚申塔で、右に「現世安穏」と彫られ左には「後生善処」と彫られています。

                  これは、法華経を信じる人はこの世では安穏に生きることができ、死後も善い世界に生まれることができるということです。

                   

                  千歳町新殿の庚申塔

                   

                  二番目に古い庚申塔で、寛政9年(1797)です。

                  これだけ「侍庚申塔」になっているんですが、この意味がわかりません(笑)

                   

                  私が見てきた限りの話ですが、庚申塔は豊後大野市の中で千歳町に多く残っています。

                  文化財の庚申塔も前田地区に県指定有形民俗文化財の「庚申塔」がありますし、長峰地区に市指定の有形民俗文化財「茶屋の辻庚申塔」もあります。

                   

                  この庚申塔は 明治時代になると政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去が進み、
                  さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが、撤去や移転されることになったそうです。

                   

                  全国的にも多く残っているようですから、皆様の地域にどんな庚申塔が残っているのか探してみるのも面白いかも。

                   

                  今日はここまで、それではご機嫌よう♪

                  | 小鮒 | 石の文化 | 05:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  これが豆地蔵?(千歳町新殿)
                  0

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                    千歳町総合運動公園の石造物

                     

                    お暇をいただいております_(_ _)_

                     

                    千歳町にある総合運動公園前の道路(石造物の向こう側)を走っていると写真の石造物の頭部分が見えます、それを見るたびに「なんだろう?」と思っていたのですが、この日観察に行きました。

                     

                    右側にあるのは石幢の幢身らしきもの、その右にあるのは石塔の基礎部分のようです。

                     

                    左にある石造物を調べると難題に出くわしました(;^_^A

                     

                    千歳町総合運動公園の石造物

                     

                    苦手な漢文です、、、所々しか意味がわかりません(T^T)

                     

                    この石造物を観察しているときに球場を清掃する方が私の真後ろにいて、「それはいわれのあるもんかえ?」っていう言葉から会話が始まりました。

                    私が「豆地蔵と彫られていますが、この辺に豆地蔵があったんですか?」と尋ねますと、「向こうの駐車場入り口に大きな地蔵様があるけど、あれじゃろか」と教えていただきました。

                     

                    千歳町総合運動公園の石造物

                     

                    漢文の彫られている裏側です、漆生村長の佐藤大左エ門と彫られています。

                     

                    千歳町総合運動公園の地蔵様

                     

                    こちらが教えていただいた地蔵様です。

                     

                    千歳町総合運動公園の地蔵様

                     

                    これが豆地蔵なのかどうかはわかりません、、、ただどこからか移動されたものだということはわかります。

                    それは立派な台座が昔からのものじゃないように見えるからです。

                     

                    お姿を見ると「豆地蔵」の雰囲気はあるんですが、確かなことはわかりません。

                    移動されたものなら、どこからどういう理由で移動したのか記してもらえるとスッキリするんですが(笑)

                     

                    千歳総合運動公園に行くときがあれば地蔵様に手を合わせてくださいね。

                     

                    今日はここまで、それではご機嫌よう♪

                    | 小鮒 | 石の文化 | 05:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    長畑宝篋印塔
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                      JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

                      JUGEMテーマ:豊後大野市犬飼町

                      猫ちゃん

                       

                      なんなんでしょうねぇ、、、桜が散った途端に強い風が吹いて寒い毎日(>o<)

                      一度は暖房器具を片付けようと思っていたんですが、片付けなくて正解でした。

                      昼食と夕食も温かい食べ物に戻っちゃったし、暖かくなったり寒くなったりを繰り返されると老体には堪えるんですけど。。。(苦笑

                       

                      さて犬飼町の長畑地区に文化財には指定されていませんが、珍しい宝篋印塔があります。

                      現場に着くと一匹の猫がお出迎え、、、「あんたこの辺じゃ見らん顔だにゃー、なにをしてるのかにゃー」(笑)

                       

                      法華経一字一石塔

                       

                      ここには写真の一字一石塔や庚申塔などたくさんの石造物があります、お寺があったんでしょうね。

                       

                      長畑宝篋印塔

                       

                      たくさんの石造物がある場所の手前に一対の宝篋印塔があります、ちょっと珍しい宝篋印塔です。

                       

                      長畑宝篋印塔

                       

                      劣化が激しいのと銘文がないっていうのが残念ですが、立派な宝篋印塔です。

                      基礎は上端二段、下端に蓮弁?側面は四面とも二重輪郭を巻き格狭間をつくっています。

                       

                      そして珍しいのが塔身です、多くの宝篋印塔は四面に四方仏の種子を刻むことが多いんですが、この宝篋印塔は月輪内に四方仏そのものを刻んでいるんです。

                       

                      いつ頃のものなのか、すごく気になります(笑)

                       

                      今日はここまで、それではご機嫌よう♪

                      | 小鮒 | 石の文化 | 05:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
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