大分県豊後大野市から気ままなblog

大分県の豊後大野市、そこは阿蘇山大噴火の影響が残り、澄んだ川と四方を山に囲まれた小さな故郷。そんな故郷<and so on>で国指定難病CIDPを患う爺さんがお届けするブログ
市邊田八幡社に伝わる神話
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    市邊田八幡社

     

    本日は市邊田八幡社に伝わる神話をご紹介します。

     

    今から六百三十年ほど前、佐伯惟貞(これさだ)という武将が三重郷を支配していました。
    惟貞は将軍の命令で日向の国の肝付(きもつき)八郎を討つことになり、三重郷の武士を引き連れて日向の国に攻め入りました。
    八郎は多くの軍勢をひきいて手向かいし、中々降参しませんでした。
    このままでは味方の武士を数多く失うことになります。
    惟貞は高千穂十社の神さまの威力におすがりしようと考え、急いで高千穂におもむきました。

     

    高千穂十社の神さまは、大きな杉の木の木立の中にお祀りされていました。
    惟貞はうやうやしく神殿で十社の神さまをおがみ、肝付八郎との戦いで勝利をおさめるようにお祈りをしました。
    そして八郎との戦いに勝つことができたなら、十社の神さまのうちの一座を故郷の三重郷にお連れして帰り、神社にお祀りしますと約束しました。

     

    お祈りの最中、惟貞の鎧のそでに不思議な光がさしこみました。
    惟貞は鎧に神さまがのり移ったと考え、その鎧を急ごしらえの神輿に乗せて八郎との戦いに臨みました。
    夜がようやく明けようとするとき、惟貞の旗に鳩がとまりました。
    これを見た惟貞の軍勢は、神さまが守って下さると固く信じ、勇敢に戦って勝利をおさめました。

     

    惟貞は十社の神さまとの約束を守り、この神輿をかついで豊後の国三重郷に帰って来ました。
    宇目郷から三重郷に入る峠のひとつが高寺の本峠です。
    本峠から三重市が見渡せます。
    惟貞の軍勢は本峠にある長さ四尺(120センチ)、幅が二尺(60センチ)の石の上に神輿を載せて休憩しました。
    のちの人は神さまを載せた石だから、この石の付近を汚さぬように守りつづけました。

     

    本峠を下ると玉田の里です。
    玉田の村人たちは水田に仮の社を建てて、高千穂の神さまをお祀りしました。
    軍勢もかなりの日数、玉田の里で休みました。
    三重川と玉田川との合流点を渡ると、目的地の赤嶺です。
    軍勢はこの合流点を渡るときに手を洗い体を清めました。
    のちにここを御手水(おちょうず)と呼ぶようになりました。
    これは御手水橋の名前で残っています。

     

    このとき、赤嶺には八幡さまをお祀りしていました。
    惟貞は社を建て直して高千穂の神さまをあわせてお祀りし、三重郷の総鎮守の神さまとさだめ、盛大にお祭を行いました。
    *惟貞が高千穂からお迎えした神さまは 三気入野神(みけいりぬのかみ)といいます。(三重町の神話より)

     

     

    どうでしょうか、神話というより市邊田八幡社のルーツがわかるお話しです。

     

    今日はここまで、それではご機嫌よう♪

    | 小鮒 | 神社・仏閣 | 05:28 | comments(3) | trackbacks(0) |
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