JUGEMテーマ:大分県豊後大野市
JUGEMテーマ:豊後大野市三重町
昨日、無事に帰宅しました_(_ _)_
土曜日の夜に出発してちょっと予定変更、最終便で山口に渡って車内泊、山口県の港で朝を迎えました。
いやー車内泊は初めての経験でしたが眠れません、、、震災で車内泊する方の苦労というか大変さが身にしみてわかりました。
山口県の旅行の様子は後日ご紹介させていただきます_(_ _)_
さて三重町の小田地区小津留にある神社です、二度目で探し当てました(苦笑
白山方面に進むと「久田トンネル」があります、そのトンネルを抜けてすぐを左折、そのまま比較的広い道を進むと急坂になります。
その急坂を上り詰めると一軒家があるのですが、その手前を右折すると神社に着きます。
一度目のチャレンジでは見つけられず、二度目のチャレンジで急坂を上り詰めた一軒家で場所を聞きました(;^_^A
写真の右側に記念碑があります、この記念碑の一部が読めなくなっていました。
この神社には八幡さまをお祀りしています。
昔、この村に恐ろしい伝染病が流行しました。
一晩のうちに何人もの村人が死んでしまうのです。
薬のききめもありませんでした。
もう、神さまにお願いするよりほかはない。
村人はお庄屋さんの盛政に、どうか神さまをこの村にお祀りしてくださいと頼みました。
盛政は、豊前の国宇佐の八幡さまをお迎えしようと、はるばる宇佐まで出かけ、宇佐八幡さまにお参りし、
村人が困っている伝染病が止むように砂利の上に跪いて八幡さまをおがみました。
お参りを終えて立ち上がろうとしたときです。
盛政の羽織のひもに小石が付いています。
盛政は、この小石をはらい落とそうとしましたが、中々、小石は落ちません。
これは、きっと神さまがこの小石を持って帰れと仰せになっているのだろうと思い、この小石を神前にお供えし、
神主さんにお願いして有難い祝詞を唱えていただきました。
お庄屋さんの盛政は、神さまの宿った小石をいただき、村に帰って社をつくって八幡さまをお祀りしました。
この話を聞いた村人たちはたいそう喜んで、霊験新たな神さまだろうと熱心にお祈りしました。
間もなく伝染病もおさまりました。
しばらくたってからのことです。夜になると神社の方から物音が聞こえてきます。
それも普通の物音ではないのです。
おかしなことがあるものだと村中が集まって話し合いました。
相談の末、神さまのようすを見るため、神殿を開いて見ようということになりました。
おごそかな神事のあと、うやうやしく神殿のとびらを開きました。
神殿の中を見た村人たちはあっと叫びました。
何と御神体がさかさまに立てられているではありませんか。
そのうち、神社の境内を見ていた村人のひとりが御神木を指さしました。
村人たちが目をやると、御神木に大きな釘が打ち込まれていました。
さっと村人の顔色が変わりました。
昔、人形を作ってそれに釘を打ち込み、相手を呪うという忌まわしい祈りがありました。
人形こそ作っていないけれど、大きな釘はちょうど人間の心臓の高さのところに打ち込まれていました。
呪いの釘だ、と村人のひとりがつぶやきました。
だれがこんな悪いことをしたのか。
人を恨む前に打ちあけて相談すればよいものを、と村人たちは口々にいいました。
そして、これから後、人から恨まれることをしないようにしよう。
また、くらしの上で困ったり、苦しんだりする人のないように気をつけ合おうと小津留の村人たちは、神さまの前で誓い合いました。
さっそく御神体は正しく立てなおされ、御神木から釘が取り除かれました。
それ以後、大きな物音がしなくなりました。
あの大きな物音は、呪いをかけたことを神さまがお怒りになったのだろう、村人たちは、
神さまがお互いに親切しなければいけないと教えてくださったのだろう、と話し合いました。
*新宮作馬さんが語った伝説で、『大野郡神社大鑑』に所収されています。
*小津留神社の前にある記念碑は、文字がはがれ落ちて読めないところがあります。
それでも次の文字が残っていますから、これをキーワードとして小津留神社の起こりを考えてみます。
キーワード
盛政 宇佐八幡 御分霊 妹尾 三百二十九年前 慶 日支事変 昭和十三年十二月起工
この竣工記念碑が建てられたのが昭和十四年(1939)のことです。
これから三百二十九年前は慶長十五年(1610)となります。
小津留村の庄屋の盛政が宇佐八幡の御分霊を小津留村の妹尾にお迎えしたのが、多分、西暦1610年、慶長十五年のことと思われます。(三重町の神話より)
今日はここまで、それではご機嫌よう♪