大分県豊後大野市から気ままなblog

大分県の豊後大野市、そこは阿蘇山大噴火の影響が残り、澄んだ川と四方を山に囲まれた小さな故郷。そんな故郷<and so on>で国指定難病CIDPを患う爺さんがお届けするブログ
三重町内山「山王社」に伝わる神話
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    山王社

     

    三重町内山にある山王社、、、多分ここだと思うんですが、もしかしたら間違っているかも知れません。

    でも「内山観音」と呼ばれている蓮城寺の裏山、また手前にある集落から上れる場所にある神社ですから間違いないと思うのですが。。。

     

    この山王社に伝わる神話は、「長者の誕生を予言した山王神」というタイトルになっています。

    それではご紹介します。

     

    豊後の国でもっとも古くからお祀りされているといわれる三重町大字内山山王社(今は有知山(うちやま)神社といいます)のお話しです。
    もう、稲が花をつけてみのりを始めようとするころでした。
    内山の村里におびただしい猿のむれが山から下りてきました。
    その数は数千匹もいるようです。
    どうやら田んぼを荒らすようすでした。
    驚いた村人たちは、このままではせっかく植えた稲が台無しになってしまう。
    猿狩りをしようと相談がまとまり、めいめい弓矢や刃物を持って田んぼに出ました。

     

    弓矢を持った村人は猿に矢を射かけましたが、矢は猿にあたるようすもなく、ゆうゆうと田んぼを駆け回っています。
    今度は手に刃物を持った村人が猿を追いかけたけれどもするりと逃げ、村人をこわがるようすもありません。
    村人たちは、夕方になるとくたくたにつかれてしまいました。
    日が西に沈むころ、田んぼにいた猿が山にひきあげて行きます。
    明日もこのようなことがあれば、たまったものではないと考えた村人たちは、それとばかり猿のむれを追いかけて山の上に登って行きました。
    山の頂上近くになったとき、あれほどたくさんいた猿の姿が一匹も見えなくなりました。
    村人たちがあちこちをさがしましたが、山風が吹く音だけしか聞こえません。

     

    山王社

     

    山頂には大きい楠がありました。あたりは薄暗くなっているのですが、その根元だけがぼうっと明るく、
    白髪の老人が座っているのが村人たちの目にとまりました。
    老人は藤で作った衣を着て、左手に桃の枝を持っています。
    おごそかで、思わずおがんでしまうほど神々しいお姿でした。
    白髪の老人は、ひざまずいた村人たちに語りかけました。
    その声は天からひびくようでした。

     

    「私は三千年の命を保っている山王神である。
    今、ここに山王神としてあらわれたのだ。お前たちが追いかけてきた猿は私の使いなのだ」。
    村人は腹を立ててたずねました。
    「神さまならなぜ人間を困らせることをするのですか」。
    山王神は笑いながらいいました。
    「お前たちをここに呼び寄せようと思って猿を使いに出したのだ」。
    村人は恐る恐るいいました。
    「神さまが、私たちに何の用事なのですか」。
    山王神は恐ろしいことを告げました。
    「これから七年の間、この国にはよくないことがつぎつぎに起こってくる」。
    村人たちはざわめきました。

     

    立ち上がった村長がたずねました。
    「どのようなことが起こるというのですか」。

    山王神はおごそかに告げました。
    「土の中から悪い虫が生じて、稲をはじめあらゆる作物を食べつくしてしまう。
    その後、雨が一滴も降らず、田畑がからからにかわいてしまう干ばつにあうことになるだろう」。
    山王神はおびえる村人にかまわず、ことばを続けました。
    「これがもとになって、お前たちのたいせつな牛馬まで病気にかかって死に絶えてしまう」。

    山王神のことばを聞いた村人たちの顔色が真っ青になりました。
    もしそのようなことが起これば、自分たちも飢え死にすることになるからです。
    村人の中には、山王神のお告げを聞いて泣き出す者もありました。

     

    「神さま私たちはどうしたらよいのでしょうか」と村長はたずねました。

    山王神は一段とまわりの光を強めながらいいました。
    「この山の上に私を祀れ。そうすれば、私の使いの猿たちに土の中の虫を退治させよう」。
    神さまはこのことを知らせるためにあらわれたのです。
    村人たちは山の上に山王神を祀ることを約束しました。

    気がつくと日が暮れてあたりは暗くなっていました。
    山王神は立ちあがりながらいいました。
    「もはや日も暮れた、私もわが身をかくさねばならぬ。そうだ、お前たちによいことを教えよう」。

     

    村人たちは山王神のことばを待ちました。
    「百済(くだら)という国(今の韓国南部にあった国)の竹林山のふもとに柴守という長者がいる。
    やがてこの里に生まれかわり、この国の人々を幸せにみちびくだろう」。
    このことばを残して、山王神は巨大な白猿の姿となり、夕闇の空に消えて行きました。

    村人たちは山王神と約束したとおり、山頂に社を建てて山王神をまつり、秋には盛んなお祭りをもよおしました。
    山王神がお祀りされたことから、人々はこの山を山王岳とよぶようになりました。

     

    山王神が姿を消してしばらくたったある年、玉田の里にひとりの男の子が生まれました。

    お父さんとお母さんは、この子に藤治と名前をつけました。
    このとき、だれもこの子が真名野長者となって人々を幸せにする人になろうとは思いもしませんでした。(三重町の神話より)

     

    この山王社に行くとわかるんですが、蓮城寺側から登れるような道があります。

    ただ見た感じではすごく険しくて、「歩いて登るのはきついなぁ」って思うような道なんです。

    私は蓮城寺の手前にある集落から田圃を突っ切って車で上りましたが、それでも急坂を上っていきます。

     

    神話の冒頭に「現在は有知山神社という」とありますが、地図では「山王社」とあります。

    神社庁に届け出ているのが「有知山神社」なんだろうと推測しました。

     

    今日はここまで、それではご機嫌よう♪

    | 小鮒 | 神社・仏閣 | 05:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
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