大分県豊後大野市から気ままなblog

大分県の豊後大野市、そこは阿蘇山大噴火の影響が残り、澄んだ川と四方を山に囲まれた小さな故郷。そんな故郷<and so on>で国指定難病CIDPを患う爺さんがお届けするブログ
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山口旅行(その4)般若寺
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    般若寺

     

    豊後大野市に住むものとして山口県を訪れたら、ここは外せません。。。

    般若姫の菩提寺、、、般若寺。

     

    般若寺

     

    般若寺から臨む瀬戸内です。

     

    般若寺観音堂

     

    こちらがご本尊が祀られている観音堂、住職に「ご本尊を撮影させて欲しい」と直訴したんですが、、、やんわりと断られました(苦笑

     

    ところで、ここ山口の般若寺に伝えられている「真名野長者伝説」も少し豊後大野市のものとは違っています。

    長者伝説の中で般若姫が出産して皇子の元へ出発するところからご紹介します、これは山口県で伝えられている伝説です。

     

    不運の海難
    やがて 姫は美しい女子を安産し、玉絵姫と名付けました。
    その後、 般若姫は玉絵姫を長者に託し、約束通り恋しい皇子の元へと旅立ちます。
    長者は姫に多くの家来と大船小船120隻を用意して、一行は臼杵(うすき)の浦を出発しました。

     

    はじめは穏やかだった海も、平群島(周防の国)近くにさしかかると突然嵐になり、船は熊毛の浦(豊後の国)に吹き流されてしまいました。

    おおしけのため一行が途中島で休んだことから、この島を豊後の姫島と言い伝えています。

     

    天候が回復したので船を出すと、再び大畠鳴門の瀬戸に差し掛かかったところで、また暴風が起こりました。
    この嵐で120隻はちりぢりとなり、多くの船が沈んでしまいました。
    それは、以前長者に池を潰された金龍神の怒りの嵐でした。
    そのとき、供の者たちが裸で泳ぎ着いた島が、柳井港の沖、裸島だといわれています。

     

    一行は阿月の浦で船泊まりし、柳井津に渡り、姫の身体を休めることにしました。
    姫は喉の渇きを訴え、里人にこんこんと湧き出る清水を案内してもらいました。
    このとき、姫が記念に柳の楊枝を井戸の側にさしたところ、一夜にして芽吹き、やがて立派な柳の木となりました。

    この柳の下の井戸が、「柳井」の地名の由来だということです。
    また、近くに流れる姫田川も般若姫にちなんだものだといわれています。

     

     

    この部分に大きな違いはありません、豊後大野市のものとは違って少し詳しく書かれている程度です。

     

    般若寺

     

    般若姫の死
    般若姫の一行は、しばらくこの浦に船をとどめ、行方不明になった供の者たちを捜し、多くの遺体が見つかりました。

    姫は、大変嘆き悲しみ、「私は、こんなにたくさんの者たちの命を犠牲にしてまで、皇后になりたいとは思いません。」と、

    まだ見つからないお供を捜して欲しいと言いました。
    そして、「かりの世に何歎くらんうき船のいずくを宿と定めおかねば」と繰り返し詠じました。
    その後、渦巻く大畠の瀬戸に身を投げたのです。
    侍女達も後を追うように飛び込みました。

    驚いた船人たちが慌てて救い上げたのですが、姫は衰弱する一方でした。
    「二度とこの場所で、このようなむごい事故が起こらないよう、瀬戸の守り神となります。私の亡骸は向こうに見えるあの山に葬ってください。」との言葉を残し、息をひきとりました。
    家来たちは大変悲しみ、姫の遺言とおりに向こうに見える山(今の山口県平生町神峰山)の頂上に埋葬しました。

    欽明天皇28年、般若姫19歳の春のことです。     

     

    この話の中に豊後大野市に伝えられている伝説と違っていることがあるんです。

    「身を投げた」っていう話は出てきません、嵐に遭って衰弱して亡くなる、これが豊後大野市に伝わっている伝説です。

     

    神峰山般若寺
    知らせを聞いた皇子と長者の悲しみは大変なものでした。
    姫の遺言通りに神峰山にお墓を建て、姫の念持仏「金の観音像」を納め、般若寺というお寺を建立しました。
    また、長者は臼杵(大分県)に姫の供養のために、たくさんの石仏を作っていきました。
    これが国宝の「臼杵磨崖仏」だと云われています。

     

    この出来事の後、毎年陰暦12月大晦日の夜、大畠の瀬戸から火の玉が三つ舞い上がり、一つは神峰山の山頂の「龍灯の松」にとまった後、

    般若寺の観音堂の三光之窓に入っていくということです。

    また一つは対岸の大畠の瀬戸の明神さまへ、もう一つは大島三蒲の松尾寺(しょうぶじ)に向かって、飛ぶようになったと云われています。
    そして、その火の玉を見た人は、大漁・豊作・福徳に恵まれるということです。(山口県に伝わる長者伝説より)

     

    これが山口県に伝わっている「真名野長者伝説」です、最後の方は山口県の伝説の方が詳しく記載されています。

    山口県に伝わる伝説ですから当たり前なんでしょうが、そうであれば豊後大野市に伝わる伝説にも加筆すればいいのにって思った次第です。

     

    この般若寺に伝わっている般若姫は、「いけにえになって金龍神を鎮めた般若姫」と云われています。

    豊後大野市の真名野長者伝説には「いけにえ」なんて言葉は全く出てきません(苦笑

     

    般若寺仁王門

     

    さて少し長くなりますが、もう少しお付き合いください_(_ _)_

    ここ般若寺にも文化財があります。

     

    般若寺仁王門

     

    それが般若寺仁王門と木造金剛力士像です。

     

    仁王門は、三間一戸八足門(さんげんいっこやつあしもん)という構造形式で、江戸時代に建立されたようです。

    八足門とは、四本の親柱の前後にそれぞれ四本の控え柱を設けた一重の門のことです。

     

    般若寺木造金剛力士像

     

    木造金剛力士像は、鎌倉時代に作られ安置されています。

    写真は吽形(うんぎょう)で像高229センチ。

     

    般若寺木造金剛力士像

     

    こちらは、阿形(あぎょう)で像高231センチあります。

     

    今日はここまで、それではご機嫌よう♪

    | 小鮒 | 旅先 | 05:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
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