大分県豊後大野市から気ままなblog

大分県の豊後大野市、そこは阿蘇山大噴火の影響が残り、澄んだ川と四方を山に囲まれた小さな故郷。そんな故郷<and so on>をご案内する気ままなブログ
<< 豊後大野市の空 | main | 緒方町天神「蓮の花」 >>
山口旅行(その10)長府毛利邸
0

    JUGEMテーマ:山口県あれこれ

    JUGEMテーマ:小旅

    JUGEMテーマ:文化財探訪

    長府毛利邸

     

    功山寺から歩いて10分もかからない場所に毛利邸があります、この毛利邸は第14代当主である毛利元敏が東京から帰住し建てた邸宅です。

     

    長府毛利邸

     

    邸宅内を見学するのは有料です、ですから中は見学していません(笑)

     

    この邸宅は明治31年に起工、明治36年に完成、大正8年まで毛利邸として使用されていました。

    その間、明治35年11月には明治天皇が熊本県で行われた陸軍大演習をご視察の際、当邸を行在所として使用され、一部の部屋は当時のまま残されています。

     

    長府毛利邸

     

    津軽家に嫁がれ、常陸宮華子妃殿下の御生母となられた久子様(元敏のお孫さんにあたる)もこの御屋敷で幼少時代を過ごされています。

     

    それは立派な御屋敷でした、現在この程度の家を建てるとすれば「ん億円」はかかるでしょうね(^o^;

    明治の時代とはいえ、完成するのに5年もかかる家ですよ、私には縁遠い話ですが。。。

     

    毛利秀元の像

     

    この像は邸宅の下にある空き地にあります、毛利秀元の像です。

     

    天正7年(1579)に「戦国の雄」毛利元就の四男元清の二男として生まれました。

    文禄・慶長の役や関ヶ原の戦いで毛利全軍を指揮し、大坂夏の陣では四国大名の一番乗りを果たすなど、戦場で数々の武功を挙げています。

    また茶の湯にも通じ、時の権力者である豊臣秀吉や徳川家康などの知遇を得て、毛利家の存続に尽力しました。

    関ヶ原の戦い後には、豊浦郡一帯を統治する長府藩の初代藩主として民政を司り、今へと繋がる下関の礎を築きました。

     

    慶安三年(1650)閏10月3日、秀吉の寵愛、家康の賞賛を受け、徳川家光の真友とも例えられた秀元は、72歳の生涯を閉じました。

     

    今日はここまで、それではご機嫌よう♪

    | 小鮒 | 旅先 | 05:30 | comments(0) | trackbacks(0) |
    にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 豊後大野情報へ
    にほんブログ村









    http://ooitakenbungo.jugem.jp/trackback/824
        123
    45678910
    11121314151617
    18192021222324
    25262728293031
    << August 2019 >>
    + RECOMMEND
    + SELECTED ENTRIES
    + RECENT COMMENTS
    + CATEGORIES
    + ARCHIVES
    + MOBILE
    qrcode
    + LINKS
    + PROFILE