大分県豊後大野市から気ままなblog

大分県の豊後大野市、そこは阿蘇山大噴火の影響が残り、澄んだ川と四方を山に囲まれた小さな故郷。そんな故郷<and so on>で国指定難病CIDPを患う爺さんがお届けするブログ
烏帽子岳ぼたん桜
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    17日のことになりますが烏帽子岳(えぼしだけ)のぼたん桜を撮影に行ってきました、天気予報では久しぶりに晴れると言うことだったので。
    加えて19日に「ぼたん桜祭り」が開催される予定なのですが、天気予報は雨マークだったので事前に撮影ということで。。。

    理想としては「早朝の太陽をバックにぼたん桜」、ですから家を五時前に出て到着したのが五時半、でも待てど暮らせど太陽が出ない(><;)

    「ま、そのうち顔をのぞかせるだろう」と取り敢えず車のライトを当てて撮影、でも一時間待っても太陽が出ない(--;)

    七時まで待ったものの、空は厚い雲に覆われていて太陽が出る気配はなし。

    仕方なく帰宅。。。天気予報なんて大っ嫌いだー!って叫びたくなりました(苦笑

    そして帰宅の途について30分位したときに太陽が出てきました、なんともトホホな話です。

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    ちょうど満開でしたね、急に一週間ほど気温が下がったのが幸いしたのかも。

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    こちらが帰る直前の午前7時頃に撮影したぼたん桜、曇天ですよね、どうみても。。。

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    この日は風が少し強くて少し肌寒く感じましたが、ピンク色の花を見ていると心が癒されます。

    このぼたん桜で豊後大野市の桜は終わりです、また来年の春を待たなければなりません。

    桜と会っている時間は本当に短いですね、短いからまた来年の開花が楽しみになるのですが。

    今日はここまで、それではご機嫌よう♪

    | 小鮒 | 大野町 | 06:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
    犬飼港跡
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      犬飼港へと渡る川港をご紹介してきましたが、肝心要の犬飼港跡をご紹介していなかったので本日ご紹介させていただきます。

      日曜日に撮影をしてきましたが、五月五日(多分)に開催される「どんこ釣り大会」を盛り上げるための恒例となっている「どんこのぼり」が。

      残念ながらと言いますか、風が吹いていないものですから「どんこのぼり」の天日干し状態でした。

      写真撮影していると風が大敵になるのですが、この日は少し複雑な気分です(笑)

      さて、話を戻しますが、いつの間にか写真のような案内板が設置されています。

      大雨が降るとこの一帯は水没するので、大雨が降らない間は設置するようにしたのでしょう。



      ここが犬飼港の船着き場跡になります、石畳になっていて唯一それとわかる場所です。

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      記念碑もあります、ただ水没する場所なので記念碑は下流側を向いています。ブログを引っ越す前にもご紹介したことがあるのですが、
      下流側を向いているため見つけにくいのが難点です。

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      豊後大野市がジオパークに認定されたためでしょうが、今までなかった案内板も設置されていました。

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      これが大野川です、過去には参勤交代で利用され、また豊後大野市全体では交通の要として利用されてきました。

      今も昔も同じですが、列車を利用する人が多ければ駅周辺が賑わいますし、多くの人が車を交通手段として利用すれば、
      駐車場の広い郊外店が賑わいます。

      それと同じで川港が利用されていた時代には、この港近辺が賑わっていたようです。

      今日はここまで、それではご機嫌よう♪
      | 小鮒 | 犬飼町 | 06:07 | comments(2) | trackbacks(0) |
      細長港の繁栄
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        先日「大野川通船碑」をご紹介しましたが、それに関連する「厳しい山河と人々の知恵」のご紹介です。

        三重町には大野川が流れています、この大野川に複数の川港が存在していたようで、恥ずかしいことながら私は知りませんでした(--;)

        歴史の勉強で地元の歴史に関することは教えていただけませんでしたし、私自身が不得意科目であったものですから。。。

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        この細長繁栄記は、ご覧のように人が通らないような場所にありました。私自身も初めて通りました、近年、市の有形民俗に指定されたようです。

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        川港跡です、流れている川が大野川、対岸は犬飼町になります。

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        ここは大野川の増水時には水につかるため、さすがの石垣も耐えられず壊れている部分もありますが、
        それでもこれだけの姿を残しているのには驚かされます。

        少しだけ解説させていただきます。
        細長繁栄記によると、明治6年に旧臼杵藩領深野村の山内甚平・三浦歌吉・藤田円平らが、細長から犬飼までの大野川浚疏工事を発起した。
        同7年には工事に着手、同9年3月に完成。
        この工事の完成により、細長には三重郷から多くの物資が集まり、人々が移住し繁栄したという。

        その後、大正6年の犬飼駅開通や細長橋の建設に伴い、交通体系が変わったことから大野川通船は徐々に衰退していったようです。

        撮影したときに気がついたのですが、石垣のあちこちに目印がつけられていて、多分教育委員会の調査が入ったのでしょう。

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        これが細長橋です、現在では老朽化と新しい国道が完成しているので通行止になっています。

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        港から続く道の跡ですが、増水の時には水没する場所なので砂などによって埋もれたようです。

        こんな港跡があることを初めて知って大変勉強になりました、現在でも見学したい方は現地に行くことが可能です。

        ただ、これからの時期は避けた方が無難かも知れません。水辺ですから「まむし」がいてもおかしくない場所。

        ヘビが冬眠して目覚めない時期に行くことをお勧めします、まぁ私以外に行きたい方は少数でしょうが(笑)

        今日はここまで、それではご機嫌よう♪
        | 小鮒 | 三重町 | 06:40 | comments(2) | trackbacks(0) |
        くじゅうさま
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          本日も「石の文化」をご紹介、場所は三重町の川辺地区。

          この川辺地区に地元の方たちが「くじゅうさま」と呼んでいる五重塔があります、文明元年(1469)室町時代に造立されたものです。

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          「なんで造立された年月がわかるの?」なんて野暮なことは聞かないでくださいね、文明元年十月念六日の銘があるからです(笑)

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          念六日とは26日のことだそうで、五重塔の頂上には一石五輪塔を置いているのが「おもしろい」とハンドブックに書かれています。

          「おもしろい」っていう表現はどうなんでしょう、もう少し違った表現はできなかったのかな(苦笑

          胴部の四方に金剛界四仏の種子を薬研彫りにしていて、地元では火伏せの神様として信仰しています。

          毎年正月十五日には赤飯を炊いてお参りするそうです。

          こんな習慣は大事にしてもらいたいなぁ、現代人は日本独特の習慣を忘れていっているように感じるので。

          今や日本人が忘れた習慣を外国人の方が知っているようなところが多々ありますから、私を含めてしっかりしましょう!(笑)

          今日はここまで、それではご機嫌よう♪
          | 小鮒 | 史跡 | 06:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
          板碑
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            石の文化をご紹介、場所は緒方町の上自在、15分も歩けば原尻の滝を見られる場所にあります。

            正式な名称は「三反畑板碑」と呼びます、簡単に場所をご紹介しましたが、実は探し回りました(^_^;)

            最終的には見つからずネットで検索しますと、わかりやすい地図で場所を説明してくれていたので助かりましたが。。。

            ネット検索をしていたときに一つのブログが気になったので読んでみますと、この板碑を探していて見つからないので史料館に行ってみたら
            休日だったので休館していたとのこと。

            休日に休館する史料館って誰のためにあるのか、と疑問を呈していました。

            反論の余地はありません、仰るとおりです。休日ほど観光客は観光地を回る機会が多くなるのに、その時に休館しているなんてあり得ないですね。

            もちろん勤務労働条件の問題があることは理解できます、でも各地の観光地は創意工夫しながら観光客を取り込むための方策を考えているのでは。

            例えば広島の原爆資料館が休日に休館していたらどうでしょう、多分批判の嵐は間違いないでしょう。

            休日に職員を配置できないなら、臨時か嘱託の職員を配置するといった工夫はすべきでしょう。

            まぁお役所仕事なんでしょうね、さて話を戻しましょう。

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            この板碑は、天授3年(1377)銘のある板碑で、大日如来、釈迦などを表す梵字が彫刻されています。

            碑が傾いているので緒方惟栄が背後の丘陵から投げて刺さったという伝説もあるそうです。

            永福寺跡に建てられたもので、緒方一族の没落後、200年近く経過しているので、一族の供養塔ではないかといわれています。(県有形文化財)

            写真を撮影した時期が違っているのにお気づきでしょう、実は二度撮影に行った次第で、お恥ずかしい限りです。

            また今回も、豊後大野市の歴史に触れることができました。

            今日はここまで、それではご機嫌よう♪
            | 小鮒 | 史跡 | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
            散歩
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              JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

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              天候が安定しません、「明日はイベントだなぁ」って時に快晴で、その当日になると雨が降ってイベントを台無しにしてしまう(苦笑

              そんな天候を繰り返す豊後大野市を散歩してきました、ただこの日はいい天気でした。

              佩楯山が見通せて、山のモスグリーンの中にライトグリーンが目立ってきて、気持ちのいい散歩ができました。

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              名前を知らない野草は黄色の小さな花をつけて、光のシャワーを気持ちよさそうに浴びています。

              そんな光景を少しばかり離れて見ると。。。

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              「俺も」「私も」と言っているかのように、小さな花々が光のシャワーを浴びているんです。

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              豊後大野市に咲いていた菜の花は、ご覧のように花を落として実をつける準備に入っています。

              もうすぐ「菜種梅雨」と言われる雨の多い日々とはおさらばです。でも、すぐに本格的な梅雨が来ちゃいますけど(--;)

              散歩をしながら季節の移ろいを身体いっぱいに感じました、そんなときが「至福」の時です(笑)

              今日はここまで、それではご機嫌よう♪
              | 小鮒 | 風景 | 06:51 | comments(2) | trackbacks(0) |
              厳しい山河と人々の知恵
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                JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

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                豊後大野市を紹介するときによく使う風景です、場所は清川町の岩戸。

                この場所に豊後大野市の繁栄を支えた記録が残されています、通称「岩戸遺跡」と呼ばれているものです。

                それは岩戸にあるガソリンスタンドの横、岩戸公民館の敷地にあります。

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                なんて読むのか、答えは「大野川通船碑」と刻まれています。

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                豊後大野市は山と川に囲まれています、そんな不便な地形の流通拠点が犬飼町にあった犬飼港です。

                そして犬飼港が点であるならば、線になるのは犬飼港につながる大野川です。

                先人は、その点を線にしようと考えを巡らせ、長い時を経て岩戸と犬飼港を結ぶ通船工事を完成させたのです。

                以下、碑に刻まれている概略です。

                「大野郡(現豊後大野市)は広大な区域を持ち多くの物資があるが、地形が険しいため交通事情が悪く、米穀や材木が都市部に輸出できず価格も低かった。
                大野直入の物資は、犬飼港まで人肩や馬背に頼る交通事情で、岡藩主中川山城守(久清公)はこのことを憂い、犬飼から上流の岩戸まで舟路を通そうとしたが、
                事業が成らずに亡くなった。その後約二百年が経過し、中川久昭公が先公の遺志を継ぎ事業を計画したが、事故があり頓挫した。
                明治維新以降、国の上下を挙げて富強の策を講じたため、緒方井田両郷の人々により、再び大野川通船工事を行う気運が高まった。
                明治5年2月に工事を開始し、6年9月に竣工し、総工費は1万5千円だった。竣工後、20余年の星霜を経て、販路が日々拡大し、
                多くの米穀や材木が都市部に輸出され価格も騰貴した。これを大野川通船の便によると言わずして、何と言おうか。
                この事績を石に記録し、後世に伝える。」

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                通船碑の背面や基壇には、大分県属・大野川浚疏掛・沈堕岩戸両会所建築掛・造船掛・船頭・賛助員など総勢158名の名前が刻まれています。

                いかがでしょうか、山河に囲まれた小さな故郷の歴史に触れてみました。

                今日はここまで、それではご機嫌よう♪
                | 小鮒 | 清川町 | 06:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
                神・仏そして伝説
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                  JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

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                  カテゴリーとしては「神社・仏閣」になります、朝地町の「神角寺」です。

                  奥に見える三角屋根が本堂になります、国の重要文化財に指定されている歴史的にも貴重なお寺です。

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                  神角寺は六世紀代に建立されたという伝説のある古刹で、「西の高野」とも称される大きな寺だったそうです。

                  でも鎌倉時代のはじめ、入部した守護大名大友氏と在地領主であった大神氏との戦禍にに巻き込まれて、
                  俗に言う神角寺の戦いにおいて焼き討ちにあい、多くあった僧坊(僧の住む建物)も焼け落ちて失われたそうです。

                  その後は、大友氏による庇護により再建されて、現在の本堂は南北朝期に建てられたものです。(ハンドブックより)

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                  そして神角寺と言えば「シャクナゲの花」です、写真は先週のものですが、今が見頃でしょう。

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                  ただの「シャクナゲの花」と侮ってはいけません、100年以上の木があちこちにあるんです。いわゆる100年ものです(笑)

                  ここ神角寺周辺の田圃では水が張られて田植えの準備は万端のようです、今月末には田植えをするんじゃないでしょうか。

                  豊後大野市では一番早く田植えをする地域です、標高の高いところにあるので当たり前なんですが。。。

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                  そして「彼岸ツツジ」が満開になっていました、早いものは散り始めていましたが、このツツジも今が見頃です。

                  ここ神角寺には、1年でもこの時期だけお邪魔させてもらっています。

                  神角寺の「シャクナゲの花」を見ることで、また一層と春本番を感じるようになります。

                  今日はここまで、それではご機嫌よう♪
                  | 小鮒 | 朝地町 | 06:51 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  石の文化
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                    豊後大野市をご紹介するには幾つかのカテゴリーに分類できます、例えば「大野川を利用した川船交通」や「石の文化」等々。

                    そんな中の「石の文化」の一つをご紹介します、場所は三重町の牟礼地区。

                    紫陽花で知られている「大辻公園」から帰宅しているとき、「六地蔵塔」の立て札を偶然見つけました。

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                    入口にあった石像です、「来るものは拒まず」と言った顔をしています。

                    六地蔵を探したのですが、どうしても見つからない(--;)

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                    この円福寺石幢が六地蔵のことなんだと分かるのにしばらく時間がかかりました(苦笑

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                    ここに六地蔵がいらっしゃったのです、加えて十王のうち四王が彫られています。

                    明応3年(1494)の造立だそうです、その歴史の古さからか左四分の一程度が割れ、その割れた部分を下に置いてありました。

                    円福寺というのであれば寺があったはず、その名残がありました。

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                    前の畑に宝塔があります、つまりここら一帯にお寺があったのでしょう。

                    何らかの理由で、お寺は場所を変えたのか、それとも住職がいなくなったのか、結果としてお寺はなくなり、道ができて畑もできた。

                    でも石幢や宝塔は大事にしないと罰が当たりますから、大切に保存していると言うことでしょう(素人考えで多分)。

                    深く考えない歴史って面白いですね、空想の世界で楽しめますもの(笑)

                    今日はここまで、それではご機嫌よう♪
                    | 小鮒 | 史跡 | 06:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    浅草八幡社祭事
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                      午後から始まった祭事の様子をお伝えします、少し長くなりますがご勘弁を_(_ _)_

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                      午前中は何とか雨が降らずにいたものの、私が再び浅草八幡社に向かうとき、あと五分で着くってところで車のウィンドウに細かな雨が。。。

                      午後一時にお発ちになったようで獅子舞が先導していきます、この獅子舞が幟のたっている三ヶ所で舞います。

                      豊後大野市の獅子舞は御嶽神社より寛政11年(1799)に伝授された御嶽流元祖と呼ばれる獅子舞です。
                      御嶽流の獅子舞は中野獅子舞、左右知獅子舞より伝播していきますが、その範囲は市内にとどまらず御幸行列に付随する芸能として
                      広く親しまれるようになったそうです(豊後大野市文化財ハンドブックより)。

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                      多分、この時期だけの大渋滞です(笑)その渋滞の先頭には。。。

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                      そう、また獅子舞です。幟が立っているのは三ヶ所、その三ヶ所全てで舞います。

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                      ここで「神々との宴(祭り)」の内容をご紹介しておきます(地域で違っていることは承知しています)。

                      神輿が本宮を出て御幸行列を引き連れながら御仮屋へと遷座します、里人の前に姿を現わした氏神様、里人はこの神前にて直会を催し、盛大な宴を張ります。
                      そして神楽囃子が鳴り始めて神とともに楽しむ神楽が始まります。これが祭りなんですね、ストーリー的な事は初めて知りました(^^ゞ カキカキ

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                      そして神輿が御仮屋の前に到着したところで、この神事です。鳥居の前で通せんぼ、そして荒神が「俺を入れろ」と踊ります。この内容がイマイチ理解できずに見ていました。

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                      そして鳥居から入っていきます。

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                      この後、三ヶ所目の幟の前で獅子舞が舞い鳥居をくぐっていきます。それから神輿が鳥居をくぐっていくんですね。
                      順序は「荒神(大御神だと思うのですが)」、「獅子舞」、最後に「神輿(神様)」のようです。

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                      鳥居をくぐった神輿の下を子供や大人がくぐります、大人は神輿に賽銭を。。。こんな光景初めて目にしました、「無病息災」を願ってのことでしょうが。

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                      地元の方に伺ったのですが、この八幡社には三基の神輿があります。昔は若い人が神輿を担いでいたのですが、
                      若い人がいなくなって担ぎ手がいなくなったので車で運ぶようになったそうです。でもトラクターっていうのが田舎っぽくて「いい仕事してますなぁ」(笑)

                      どなたか来年から担ぎたいという方は、豊後大野市役所大野支所までご連絡ください。

                      DSC07097_DxO[1].jpg

                      そして神楽の奉納が始まりました、舞台を見てわかるように相当な雨が降っています。
                      雨脚が弱まることは期待できません、でも雨脚が強まらないように祈るだけです。

                      DSC07140_DxO[1].jpg

                      芝引きが始まりました、本来であれば子供が喜ぶはずなのですが。。。
                      その子供(小学生の中学年から高学年)がいないんです、だから荒神も手持ち無沙汰(--;)

                      DSC07165_DxO[1].jpg

                      小さい子供を抱きかかえてポーズを取る荒神です、お母さんは子供が泣き叫ぼうが構わず記念写メ!

                      このときには雨脚が強まってきました、写真にも雨が写っています。

                      私もカッパを着て撮影していましたが、この雨脚には勝てません。
                      この写真を撮影して帰宅しました、一年に一回の祭事なのに、晴天でなくてもいいから雨だけは降って欲しくなかったですね。

                      でも、これだけは仕方ありません。地元の方々のご苦労をお察しします、本当にお疲れ様でした。

                      また一番前で撮影をして邪魔に思った方もいらっしゃったかも知れません、この場を借りてお詫び申し上げます。

                      個人的な感想ですが、すごく面白かったです。
                      獅子舞が先導する神輿って言うのを初めて目にしたことが新鮮で、「お祭りってこういうものなんだぁ」って思いながら撮影しました。

                      もっと色んな地域の祭りを見て見たいですね、でも時期が重なるのがねぇ。。。
                      この日は大野町の中心部でも祭事があったと聞いています、また来年の楽しみにしておきましょう。

                      今日はここまで、それではご機嫌よう♪

                      | 小鮒 | 大野町 | 06:02 | comments(2) | trackbacks(0) |
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