大分県豊後大野市から気ままなblog

大分県の豊後大野市、そこは阿蘇山大噴火の影響が残り、澄んだ川と四方を山に囲まれた小さな故郷。そんな故郷<and so on>で国指定難病CIDPを患う爺さんがお届けするブログ
申し訳ございません_(_ _)_
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    昨日、内田方面に向かう予定があったので4月12日にご紹介した内田神社(宇知田神社)に寄ってみました。

    その目的はただ一つ、世界に三ヶ所だけしか自生しない(ネット情報だと違うようですが)といわれている「シイノトモシビタケ」の様子を見るためです。

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    この案内板に記載されているように「梅雨時期」を目途に観察しようと思っていたのですが「沖縄地方も梅雨入りしたことだし、そろそろ行ってみるか」、
    と思い立った次第です。が、、、、、

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    じぇじぇじぇ!これが「シイノトモシビタケ」のようです、見事に枯れちゃってます(><;)

    二週間前なら出会えたようですが、愛しい人に会えず今年は終わってしまいました。

    誠に申し訳ございませんでした_(_ _)_

    来年、もし私が生きているようでしたら再び撮影にチャレンジしたい、そのように決意した次第でありますV(^0^)

    それにしても枯れたシイノトモシビタケって、お菓子の「きのこの山」に似ていらっしゃる(笑)

    そして、もう一つ残念なことがありました。

    神社の境内にはタバコの吸い殻があちこちに捨てられ散乱していました、それを見た最初は高校生がたむろしているのかな、
    そう思ったのですが、枯れたシイノトモシビタケを見つけて納得しました。

    多分、カメラをセットして暗くなるのを待っているときに吸ったタバコの吸い殻なのでしょう。

    こういったモラルを欠いた行動が、良心的な撮影をする方たちに迷惑をかけるんです。「タバコを吸うな」と言っているわけではありません、
    吸うのであれば「吸い殻は持ち帰りましょうよ」ってことを言いたいんです。

    こんな現場を見ると情けなくなりますね、「写真だけ撮れりゃあいい」みたいな考えの方が内田神社を訪れたのでしょう。

    そういうことで来年こそ頑張ります!(来年も生きていますように)

    今日はここまで、それではご機嫌よう♪
    | 小鮒 | 神社・仏閣 | 06:25 | comments(4) | trackbacks(0) |
    オオキンケイギク
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      JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

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      「雑草好き」様よりご指摘を受けて「キバナコスモス」を「オオキンケイギク」に変えさせて頂きます、誠に申し訳ありませんでした。

      豊後大野市では今の時期「オオキンケイギク」が満開になろうとしています、道路脇には誰が植えたわけでもない
      自生のオオキンケイギクが咲き乱れています。

      そんな時期ならばと、昨年に見つけた清川町三玉地区に行ってみました。

      すると満開ではありませんでしたが、法面が黄色に染まっています。

      この咲き方は自生ではないでしょう、地域の方かご近所の方が種を蒔いたんだと思います。

      清川町にある道の駅から宝生寺方面へと進みますと「荻塚様」の小さな看板が目にとまります、
      その看板のある緩いカーブを曲がった右手の法面にオオキンケイギクが咲いています。

      運転をしていると右後方になるので見逃してしまいそうになりますが、逆方向の宝生寺から道の駅方面へと進むと見逃すことはありません。

      このオオキンケイギクとキバナコスモスは大変似ています、大きな違いは「葉」にあるみたいです。

      ところでコスモスの花言葉をご存知ですか?

      コスモスは花の色で花言葉が違います(私も初めて知りました)、一般的なピンクのコスモスは「乙女の純血」だそうです。

      赤のコスモスは「乙女の愛情・調和」、白のコスモスは「優美・美麗・純潔」だそうですよ。

      ところで今回ご紹介しているオオキンケイギクは「きらびやか・新鮮で華やか」だそうです、でもオオキンケイギクは特定外来生物に指定されています。

      ただネットで検索すると外来生物に指定されているからと言って駆除することは如何なものか、そのような意見も見受けられます。

      私も単純に「綺麗なんだから」そう思ってしまうのですが、でも綺麗だからこそ意見が分かれるのでしょう。

      今日はここまで、それではご機嫌よう♪
      | 小鮒 | 風景 | 06:33 | comments(2) | trackbacks(0) |
      蜘蛛迫鼻欠け地蔵
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        JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

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        昨日ご紹介した上井路取水口磨崖仏の200メートル程下流(原尻の滝方面)へ行きますと、旧県道に写真の地蔵様が鎮座されています。

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        この地蔵様も資料がなく、いつの時代のもので、なぜここに鎮座されているのか全くもって不明です。

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        これも私感ですが、地蔵様ではなく磨崖仏のように思われます。
        それに岩の欠け方から見て一体ではなく複数体が彫られていたのではないか、と思うのですが。。。

        ただ不思議なことに、やはり鼻がないんです。上井路取水口磨崖仏といい、この地蔵様といい、なぜ鼻がないのか。
        色々とネットで検索しても、昔話的な事例は出てきますが、、、肝心な鼻を欠けさせる信仰が不明です。

        こういうところを資料館の方が調査をして推測でもいいので一定程度の見解を出してくれると有り難いのですが、無理でしょうね(苦笑

        私的には撮影するときに色んな想像をして楽しめるから、不明なままでも構いませんが、こうしてブログで紹介するときに困ります(^o^;

        余談ですが、撮影している真後ろに犬がつながれていまして、吠えることもなく珍しそうに撮影する私を見ていました。

        人様に奇異な目で見られるよりプレッシャーを感じませんでした、これからは撮影する私を奇異な目で見る人のことを犬だと思うようにします(笑)

        今日はここまで、それではご機嫌よう♪
        | 小鮒 | 史跡 | 06:49 | comments(2) | trackbacks(0) |
        緒方上井路取水口磨崖仏
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          JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

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          5月7日にご紹介した「緒方下井路取水口」、本日は「緒方上井路取水口」のご紹介です。

          下井路取水口より1キロほど上流に上井路取水口があります、ただこの取水口以外にもご紹介したものがあります。

          話は少し遡りますが、小富士山に眠っている中川久貞の墓をご紹介したときに、朝地町に眠っている井上並古の墓を探していると書きました。
          その墓へ行く手がかりが欲しくて市役所の朝地支所へ行き、職員に尋ねましたが詳しいことがわからず、
          違う日に歴史資料館に行って尋ねたところ詳しい資料をいただき墓に行く目途が立ちました。

          その時に資料館の方から史跡マップをいただき、史跡をチェックしていると上井路取水口磨崖仏があることを知ったので本日ご紹介させていただきます。

          ネットでの情報なので真偽の程は定かではありませんが、日本にある磨崖仏の六割くらいが大分県にあるそうですね。

          確かに多いとは思いますが、日本にある六割が大分県に集中しているとはビックリです。

          さて磨崖仏は茂みの中にあって、井路に背を向けるようにしてありました。

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          これが緒方上井路取水口磨崖仏です、このすぐ裏に井路があります。

          江戸時代のものだそうですが、資料が全くない中で、上井路が整備されたのが江戸時代なので「江戸時代のものだろう」というのが真相なのでしょう。

          この磨崖仏は殆ど四角形の岩に彫られていて、こんな形の岩が川岸にあること自体、不自然です。

          そこで私感なのですが、岩を運んで彫ったのか、彫ったものを運んだのかは定かではありませんが、そう思うと合点がいきます。

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          所々に開けられている穴の存在も気になります、岩を運ぶための穴だったのか、撮影しながらそんなことを考えていました。

          そして鼻の部分に開けられいる穴、欠けたものではなく明らかに穴を開けています。穴を開けていることは何を意味しているのか、謎が多い磨崖仏です。

          ただ井路を整備した時代、この井路が農家の方にとっては生命線だったことは間違いありません。
          その井路に対する強い思いが磨崖仏に込められているのでしょう、井路を見張っていて欲しい、井路に悪さをする奴がいたら追い払ってほしい、そんな思いでしょうか。

          今日はここまで、それではご機嫌よう♪
          | 小鮒 | 史跡 | 06:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
          通学路
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            JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

            今回はプライベートネタになります、面白くないかも知れませんが、しばらくお付き合いください。

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            中学校を卒業して40年以上の時が流れました、30歳の時には中学校の部活の手伝いもしておりましたし、撮影もさせていただいたので
            中学校に行くのはそんなに久しぶりではありません。

            でも通学路となると、卒業以来一度も歩いていませんでした、ですから40数年ぶりに歩く通学路となります。

            写真は校歌にも出てくる「三年坂」、三重町中心部に住む生徒は三年間この坂を上って通います。

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            こちらが40数年ぶりに歩いた通学路です、三年坂より傾斜がきつくて「こんな坂を3年間も上って通ったんだ」と自分のことながら感心しました。

            中学校のアルバムを引っ張り出して校歌をみていますがリズムが浮かんできません、小学校と高校は歌えるのに。。。

            私が中学校二年生の時に三重中学校と三重町内にあった他の中学校が統合しました、その時に校章も変わりましたし、校歌も変わりました。
            生徒数も私の学年で444人、11クラスという規模になり、大分県内で2番目の生徒数になった中学校です。
            その時の生徒数ナンバーワンの中学校が、大分市内にある「王子中学校」っていうのは良く覚えています。

            校歌のリズムが浮かんでこないのはそのためだと思われます、2年しか歌っていませんから。

            ところで皆様の「初恋」っていくつの時でしたか?年を取ると初恋の話なんてしないですし、しようとも思わないのが普通でしょう。

            でも、心の隅には初恋の切ないんだけれども心高ぶった思いが、ひっそりと仕舞われているのではないですか。

            私の初恋は中学校二年生の時でした、今でもその顔が目に浮かびます。初恋が実って交換日記もしたりして(今では死語なんですかねぇ)、
            毎日が楽しくって夕方家に帰ると「早く朝がこないかなぁ」って思ったものです。

            誕生日にはコーヒーカップを半分にしたペアのコーヒーカップ(二つを合わせると一つのカップになるもの)をもらって、
            それしか使わないって頃もありました。

            でも、終わりの時はあっけなく訪れました、私が原因なんでしょう。

            恋をすると相手に良く見せよう、よく見てもらいたい、そんな感情が強くなっていきます。すると、どんどん自分を飾りだして
            時には嘘をついてでも良く見せようと思い始めたんですね。

            相手に言わせれば「素のままがいい」はずなのに、どんどん飾り立てていく、そんな姿に呆れ果てたのでしょう。

            淡い初恋でした(/_;)

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            中学校時代には文房具などを売っていたお店だったお家です、当たり前ですが今では店も閉めて普通の家になっていました。

            ここから見る景色も随分と変わりました、家が多くなったことはもちろんですが、コンクリートの四角い建物がこんなに増えるなんて、
            想像も出来なかったですよ。

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            校舎が少し見えますが、私の時代には校舎が見えることはなかったです。

            坂の両側にはたくさんの家が建っていて、当時のイメージが湧いてこないくらいに家が建ちました。

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            野球部のグラウンドです、私も一年生の時には野球部で毎日グラウンドの隅すら隅までを走っていました(正確には走らされていた)。

            走らないときは球拾い、球拾いが終わると走る、その繰り返しでした。

            フェンスがありますが、そのちょっと奥に木造の校舎があって一年生は木造の校舎でした。今の時代に木造の校舎なんてあるのかなぁ、耐震問題があるので木造校舎はないでしょうね。

            この角度から中学校を見るのも当たり前ですが40数年ぶりです、当時の名残はグラウンドだけで他の全ては変わってしまいました。

            でも、変わった姿を見られるっていうことは有り難いことなんです、生きている証なんですから。

            それを見ずに逝った同級生も数人いますから。。。

            今日はプライベートネタで申し訳ございませんでした、どうしても通学路を歩いてみたかったものですから。。。

            今日はここまで、それではご機嫌よう♪
            | 小鮒 | 三重町 | 06:21 | comments(2) | trackbacks(0) |
            竹田市扇森稲荷神社
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              JUGEMテーマ:大分県竹田市

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              この日は隣町の竹田市に出かけました、写真撮影が目的ではありませんよ。他の用事で竹田に行ったから撮影しただけです(笑)

              さて一般の方は、一戸建て若しくはマンションを購入した場合、ローンを組むと思います。

              一部の方には「ローンは大っ嫌いだから現金で買う」って方もいらっしゃるでしょうが、こんな方は特殊な方と言っていいでしょう(笑)

              私もローンを組んで家を購入しました、すると当然ですが銀行は抵当を付けます。

              抵当を付けるのは銀行が勝手にやってくれますが、ローンを完済した場合、抵当を抹消するのは個人で行うこととなります。

              この度、職場を卒業して僅かばかりの慰労金をいただき、その慰労金で住宅ローンを完済することになりました\^^/

              完済しますと銀行から色んな書類をいただきます、その書類を持って司法書士の所に行き抵当権の抹消をお願いすると数万円の手数料を取られます。

              でもですよ、これを自分ですると土地と家で、それぞれ千円、合計して二千円プラス燃料費だけで抹消できるんです。

              お金を持っている方は「面倒くせぇから司法書士にやってもらえばいいじゃん」って仰るかも知れませんが、
              現在の私は無職、昔の言い方をすれば「プー太郎」ですよ。

              数万円の出費は痛い!ですから自分で手続きをすることにしました、そのために竹田市にある法務局へ出かけたわけです。

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              ちょっと話を写真に戻しますが、扇森稲荷神社に行くのは初めてです。最初は歩いて拝殿まで行く予定だったのですが、
              階段を仰ぎ見て腰が引けたと言いますか、身体が拒否反応をおこしまして車で拝殿横の駐車場まで行きました(=_=;)

              着いたのが9時前でしたから、一人も参拝者がいない状態で神社を独り占め(笑)

              そして伝説の場所を見つけました、でもちょっと文章的に納得がいきません。

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              老婆はどうなったの?って思いません?

              ま、そんな細かいことは横に置いといて、ここ扇森稲荷神社を「狐頭様(こうとうさま)」と呼んでいます。

              九州三大稲荷の一つで、全国でも10番の中に入る有名な稲荷神社です。それはそれは立派です。

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              豊後大野市から竹田に行ったときには是非お参りされるといいと思いますよ、きっと御利益があるかも。。。

              さて、抵当抹消の話しに戻りますが、銀行からいただく書類の中に「資格証明」というものがあります。

              これは、銀行の履歴を書いている証明書なのですが、銀行から預かるときに「原本を返してください」と言われます。

              この資格証明だけコピーを添付しなければなりません、それ以外の書類はそのまま法務局に提出してください。

              申請書は法務省のHPに様式が用意されていますから、それを書き換えるだけです。

              これだけのことで済むのに司法書士に依頼すると数万円を取られるなんてねぇ、司法書士に頼むか自分でするか、どっちがお得かよく考えてみましょう。

              今日はここまで、それではご機嫌よう♪
              | 小鮒 | 神社・仏閣 | 06:18 | comments(4) | trackbacks(0) |
              昭和の遊び
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                JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

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                三重町の下赤嶺地区を散歩していると地元の老人クラブの方たちでしょうか、昔の遊びを再現した「かかし」を作っていました。

                遠くから見たときには、「えらく厚着してるなぁ」って思っていたのですが、近づくにつれ「かかし」とわかってビックリ。

                そして面白いのが、板に方言を書いているところ。懐かしくて見入ってしまい、「あ、写真撮らなきゃ」と思った次第です。

                最初は男の子なら定番と言っていい「コマ遊び」、私が小学生の頃には「こま」を作っている方がいまして、形の注文に応じて作ってくれていました。

                「さいきごま」「ひょうたんごま」「けんかごま」などがありました、コマを持って帰ると「けん(中心に刺さっている鉄の芯)」
                を研いで相手のコマに刺さるようにしていたものです。

                私たちが遊んでいた「こま遊び」は、相手のコマを倒すだけでなく相手のコマを欠けさせて壊してしまうことも遊びの要素だったんです。

                そう言えば回っているコマを手に乗せる練習をよくしましたねぇ、どうしても右手に乗せられなくて友達からは
                「へたじゃのぅ」って笑われていましたが、ある日左手に乗せようとしたらいとも簡単にコマが手に乗ったんです。

                そう、私のコマの回し方がみんなとは逆だったんです(笑)

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                女の子の定番「綾取り」です、これに加えて女の子は「ゴム跳び」もしていましたね。

                私も姉貴の相手をさせられたのを覚えています、男の子にとっては退屈な遊びでした。

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                竹馬です、私が小さい頃はほとんど竹馬で遊んだことはありません、「ポックリさん」では遊びましたけど。。。

                ポックリさん(呼び方が違ったかな)とは、空き缶の底(缶を開けていない側)の両側に小さい穴を開けて、その穴に紐を通した遊び道具です。

                缶の上(二つ用意します)に乗って、紐を持って歩く、その歩くときに「ポックリ」って音がするんで「ポックリさん」って遊びでした。

                今の子供なら「つまんない」って言うこと間違いなし(苦笑

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                「ぱっちん」です、都会では「めんこ」って呼びますよね。

                これもよく遊んだなぁ、ひっくり返されないように「ぱっちん」にロウソクのロウを塗ったりしていました。
                「足かけ」はダメ、そんなルールがあったりして夕方遅くまで遊んだものです。

                今は「ぱっちん」そのものを売っているところがあるのかな、駄菓子屋がなくなって「ぱっちん」で遊んでいる子供を見なくなりました。

                今の子供たちには面白くも何ともない遊びでしょうが、昭和の時代は遊ぶのは外、遊ぶ道具がなければ工夫する。
                釘一本でも遊べていた時代ですからねぇ、まさに創意工夫して遊んでいた時代でした。

                本当に懐かしい遊びを思い出しました、老人クラブの皆様に感謝です。

                今日はここまで、それではご機嫌よう♪
                | 小鮒 | 三重町 | 06:15 | comments(4) | trackbacks(0) |
                紫陽花
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                  JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

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                  豊後大野市では紫陽花の花が咲き始めました、桜の開花宣言がされたような感じの咲き方ですが、ポツンポツンと花をつけています。

                  撮影した日は5月18日、雨が降っていたので近くの大辻公園に出かけて撮影してきました。

                  でも紫陽花の花を見ると「梅雨が近づいたなぁ」って、少し気分はブルーになりますが、やっぱり紫陽花には雨の滴が似合います。

                  そう言えば19日に奄美地方では梅雨入り宣言しましたね、豊後大野市も時間の問題でしょう。

                  紫陽花の花言葉をご存知ですか?
                  「移り気」「浮気」「ほら吹き」「変節」「無情」「冷淡」「高慢」などがあります、こんなに多い理由は
                  紫陽花の花が「七変化」に変わっていくから、といわれています。

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                  ご存知のように紫陽花の花の色は土によって変わります、酸性が強いと青みがかって、アルカリ性が強いと赤みがかります。

                  成長することでも色の変化があり、咲き始めは薄緑色、それがやがて白色になり、徐々に青紫や、赤紫に色づいてきます。

                  日本でよく言われている花言葉は、「仲良し」「友情」「家族団欒」「平和」「団結」などですね。

                  この紫陽花は昔の日本では人気がなくて、中国経由でイギリスに渡り品種改良がされて再び日本に戻って人気が出たという不思議な花です(諸説色々あるようですが)。

                  「梅雨に咲く花」と言えば「紫陽花」って言われるように、今では日本の梅雨に欠かせない花になっています。

                  写真撮影を知る前の私は花を見れば「綺麗だなぁ」って思ってはいたものの、それ以上のことには興味を持ちませんでした。

                  でも撮影をするようになってからは、「この花綺麗だなぁ、なんていう名前なんだろ」って思うようになったから不思議(笑)

                  今日はここまで、それではご機嫌よう♪
                  | 小鮒 | 風景 | 06:35 | comments(2) | trackbacks(0) |
                  ひとりっきり雀
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                    JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

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                    一ヶ月ほど前でしょうか、この雀に遭遇したのは。

                    なぜかサッシの下に鳥の糞が山積みになっていまして、昼間に雀が休んで糞をしているのだろうとばかり思っていました。

                    上さんが掃除しても数ヶ月すれば糞が山のようになる、それを一年ほど繰り返していました。

                    そもそも我が家は1Dの部屋しか用意できませんが、住んでいる雀には家賃を請求しておりません(笑)

                    そんな部屋が無料で住めると言うことが口コミで広がったのか、現在では4世帯の雀の家族が暮らしております。

                    まぁ、朝の五時半頃から騒がしいこと騒がしいこと、4世帯の家族が朝の挨拶をしているのでしょう。
                    「ちーちー♪」鳴いて、、、おかげで目覚まし要らずです(苦笑

                    そうなんです、今の時期と言えば雀の世界は家族を構成して子育てに入っているはずなのですが、
                    何故か一人っきりで夜を過ごす雀がいるんです。

                    たまたま上さんが帰ったときに上さんと雀の目が合ったようで、「雀がいるよ」って言われて確認しますと一人だけでいる雀を発見した次第です。

                    この雀の糞が山積みになっているんだと納得致しまして、せっかくなので写メを撮った次第です(笑)

                    「お前は家族をつくらなあかん」と心を鬼にして追い払うのですが、次の日の夕方になるといつもの場所にいるんです。

                    そんなことを一週間ほど繰り返したでしょうか、さすがの雀も「私はここにいられないんだ」と悟ったのでしょう。

                    今のところ姿を現すことはなくなりました、でも不思議なもので、いなくなったらいなくなったで気になるんですよ(苦笑

                    まぁ人間だって高所恐怖症の方もいますし、走るのが苦手な方もいます。
                    もしかしたら雀だって高所恐怖症の雀がいるかも知れませんし、飛ぶのが怖いと思う雀も、、、さすがにそれはないか(笑)

                    それと同じで人間の世界だって所帯を持たず一人がいいという方がいるわけですから、所帯を持ちたくないという雀がいてもおかしくありません。
                    いわゆる一匹狼ならぬ一匹雀(^0^))☆爆笑☆((^Q^)v

                    我が家からいなくなった「したきり雀」ならぬ「ひとりっきり雀」、残念ながらお土産は期待できないようです(笑)

                    今日はここまで、それではご機嫌よう♪
                    | 小鮒 | 三重町 | 06:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    一番早い田植え
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                      JUGEMテーマ:大分県豊後大野市

                      DSC07465[1].jpg

                      朝地町の鳥田、そう言ってもピンとこないでしょうね。神角寺の下にある地区を鳥田といいます、
                      この地域では豊後大野市の中で一番早く田植えをする地域です。

                      ゴールデンウィークの前に田植えをすると思っていたので、10日に植えられた稲を撮影に出かけたら田植えの真っ最中でした。

                      DSC07179[1].jpg

                      この日は天気も良くて絶好の田植え日和だったのですが、皆さんが忙しそうに田植えをしているところを撮影するのは、
                      神経の図太い私でも多少気が引けます(苦笑

                      DSC07192[1].jpg

                      撮影をしたり田植えの段取りを見たりしていて気がついたのですが、四代にわたる田植えのようです。

                      曾祖父が陣頭指揮、祖父と父親が田植え、まだ小学生程度の子供は長靴を履いて手助けすることがないか見守っている、
                      こんな状態の田植えのようでした。

                      曾祖父は元気がいいみたいで、大きな声を出して指示を出していましたよ(笑)

                      DSC07184[1].jpg

                      お婆ちゃんでしょうか、稲を植えた後の仕上げを手作業でしていました。

                      私の父親の実家が農業をしていまして、小学生の頃だったかな田植えの手伝いをしたことがあります。

                      手伝いというか、大人の足を引っ張ったっていうのが実態なのでしょうが。。。
                      まだ機械ではなく手植えの時です、腰は痛くなるし、田圃に足がはまって抜け出せない状態になりまして
                      大人の手を借りて抜け出たりと、最後には「お前はもういいから田圃から出とけ」って言われたのを覚えています(=_=;)

                      そんなときからすると現在の田植えは楽になりましたが、楽になった分、機械にお金がかかって稲作だけでは食べていけない、そんな状態の稲作農家です。

                      もちろん米の単価が下がったことが一番の要因ですが、私は「米派」なので稲作農家の方にはめげずに頑張ってほしいものです。

                      現在では、朝地町の平野部で水を張っている田圃が多数、緒方平野の一部では田植えの準備を始めたばかりの状態です。

                      ここ三重町でも緒方平野と同様に田の畦の草を刈って、田圃の土を掘り返している状態のところが多数です、そして来月は本格的な田植えシーズンになります。

                      今日はここまで、それではご機嫌よう♪
                      | 小鮒 | 風景 | 06:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
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