2015.10.31 Saturday
ひめゆりの塔
JUGEMテーマ:おきなわ
16日に沖縄へ出発して那覇空港に着いたのがお昼前、半日の移動しか出来ないので、この日は空港近くにある「ひめゆりの塔」と
「平和記念公園」を見学しました。
残念なことに展示資料の撮影は出来ません。
今回の沖縄旅行全般に言えることですが、沖縄戦の悲惨さを学び戦争を二度としないためにその内容を多くの方に知ってもらうためには
展示資料を撮影して多くの方に見てもらうことが必要ではないのか、そう思っていたのですが多くの場所で撮影が禁止になっています。
どなたかのブログでも同じような不満を書いていました、「見学したいなら沖縄に来なさい」そんな姿勢にも受け止められます。
展示資料の撮影については是非、検討してもらいたいですね。
さて資料館の前に置かれている石があります、「いはまくら碑」と言います。
この碑には、ひめゆり学徒の引率教師である仲宗根先生の歌が刻まれています。
「いはまくら かたくもあらん やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは」
この意味は、「固いごつごつとした岩場で亡くなったのはさぞ無念で辛かったでしょう。心安らかに眠って欲しいと学友たちは願っています」
という哀悼の歌です。
怪我をした兵隊たちの世話(治療は医薬品が不足し満足に出来なかったそうです)をするのですが、その世話と言っても
水を汲んだり手術で切断された手や足を抱えて捨てに行ったりと重労働だったようです。
そして感謝をされるのではなく、兵隊から「沖縄を守ってやっているのに・・」と罵声を浴びせられることも少なかったようで
本当に辛い思いをしたことでしょう。
学生たちは、すぐに帰れると思って現場に本(この本も展示されています)なども持っていったそうですが、本を読む暇などなかったでしょう。
そして戦況が深刻化する中で突如、解散命令が下されて生徒たちの悲惨な日々が始まります。。。
小銃で撃たれ体に穴が空いて死ぬもの、体がバラバラになって死ぬもの、恐怖と辛さで自爆するもの、
生き延びた方たちの恐怖・辛さ・悲しみを思うと胸がいっぱいになります。
そして、ご承知のように生き延びた方たちが語りべとなって、その悲惨さを語り継いでいます。
現在は、皆さんが高齢になったことで後継者を育てていく活動をしているそうです。
亡くなった生徒の顔写真を展示していますが、若いというか幼いというか、そんな方々の写真を見ると本当に胸が締め付けられる思いがしました。
生き残った方たちも当時の証言をするのに相当悩んだそうです、少しだけですがわかるような気がします。
だって地獄絵図を思い出すのですから。。。
今日はここまで、それではご機嫌よう。
JUGEMテーマ:SONY デジタル一眼レフカメラ α
16日に沖縄へ出発して那覇空港に着いたのがお昼前、半日の移動しか出来ないので、この日は空港近くにある「ひめゆりの塔」と
「平和記念公園」を見学しました。
残念なことに展示資料の撮影は出来ません。
今回の沖縄旅行全般に言えることですが、沖縄戦の悲惨さを学び戦争を二度としないためにその内容を多くの方に知ってもらうためには
展示資料を撮影して多くの方に見てもらうことが必要ではないのか、そう思っていたのですが多くの場所で撮影が禁止になっています。
どなたかのブログでも同じような不満を書いていました、「見学したいなら沖縄に来なさい」そんな姿勢にも受け止められます。
展示資料の撮影については是非、検討してもらいたいですね。
さて資料館の前に置かれている石があります、「いはまくら碑」と言います。
この碑には、ひめゆり学徒の引率教師である仲宗根先生の歌が刻まれています。
「いはまくら かたくもあらん やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは」
この意味は、「固いごつごつとした岩場で亡くなったのはさぞ無念で辛かったでしょう。心安らかに眠って欲しいと学友たちは願っています」
という哀悼の歌です。
怪我をした兵隊たちの世話(治療は医薬品が不足し満足に出来なかったそうです)をするのですが、その世話と言っても
水を汲んだり手術で切断された手や足を抱えて捨てに行ったりと重労働だったようです。
そして感謝をされるのではなく、兵隊から「沖縄を守ってやっているのに・・」と罵声を浴びせられることも少なかったようで
本当に辛い思いをしたことでしょう。
学生たちは、すぐに帰れると思って現場に本(この本も展示されています)なども持っていったそうですが、本を読む暇などなかったでしょう。
そして戦況が深刻化する中で突如、解散命令が下されて生徒たちの悲惨な日々が始まります。。。
小銃で撃たれ体に穴が空いて死ぬもの、体がバラバラになって死ぬもの、恐怖と辛さで自爆するもの、
生き延びた方たちの恐怖・辛さ・悲しみを思うと胸がいっぱいになります。
そして、ご承知のように生き延びた方たちが語りべとなって、その悲惨さを語り継いでいます。
現在は、皆さんが高齢になったことで後継者を育てていく活動をしているそうです。
亡くなった生徒の顔写真を展示していますが、若いというか幼いというか、そんな方々の写真を見ると本当に胸が締め付けられる思いがしました。
生き残った方たちも当時の証言をするのに相当悩んだそうです、少しだけですがわかるような気がします。
だって地獄絵図を思い出すのですから。。。
今日はここまで、それではご機嫌よう。